別庵性統
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別庵性統 | |
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1662年-1717年 | |
生地 | 夔州府梁山県 |
没地 | 定海県普陀山法雨寺 |
宗派 | 臨済宗 |
寺院 | 法雨寺 |
師 | 三山灯来 |
著作 | 『続燈正統』 |
別庵性統(べつあん せいとう、1662年 - 1717年)は、中国の清初の臨済宗の禅僧。俗姓は龍。夔州府梁山県の出身。本貫は潼川州安岳県。臨済宗の第32代伝人。大慧宗杲の十七世の孫。法雨寺の中興祖師。
略歴
[編集]1662年(康熙元年)、龍明宇と李氏のあいだの子として生まれた。1672年(康熙11年)、別庵性統は高峰寺に出家し、三山灯来に師事した。1683年(康熙22年)、高峰寺で具足戒を受ける。1686年(康熙25年)、別庵性統は廬山、金陵を経て浙江に来て、寧波府天童寺で仏法を求めます。1687年(康熙26年)、法雨寺の前任住職である明益普栄の勧めで法雨寺の主宰となり、法雨寺の修復を開始した。1689年(康熙28年)、康熙帝は南巡し、舟山総兵の黄大来が護衛し、康熙帝は黄金千両を与えて寺院を建立した。1699年(康熙38年)、康熙帝は第二回南遊した。その時、別庵性統は杭州にいました。康熙帝は寺院「江南黄瓦」に12万円、黄金千両を割り当て、鎮海寺を「法雨禅寺」と改名し、寺院「御筆」を与えました。1702年(康熙41年)、法雨寺の後期に完成し、別庵性統は康熙帝の功徳を賛美するために、「万寿御碑亭」(天章閣)を建てました。1717年(康熙56年)、享年55(満54歳没)で入滅。法雨寺にて示寂。法臘43。
著作
[編集]- 『続燈正統』
- 『祖師正宗道影』
- 『高峰宗旨纂要録』
- 『梅花岑集』
- 『径山録』
参考文献
[編集]- 時光 (2014). “易律為禅的真歇大師”. 『海天佛国 普陀山』. 河南省鄭州市: 中州古籍出版社. pp. 39–42. ISBN 978-7-5348-4634-2
- 黄夏年 (2014). “普陀別庵性統禅師生平與著述考”. 『宗教学研究』 (四川省成都市: 四川大学出版社) 2. ISSN 1006-1312.
- 杜潔詳, ed. 『普陀洛迦新志』巻10