別府町 (帯広市)
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別府町 ぺっぷちょう | |
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国 | 日本 |
地方 | 北海道地方 |
都道府県 | 北海道十勝総合振興局 |
自治体 | 帯広市 |
旧自治体 | 河西郡川西村 |
世帯数 |
117世帯 |
総人口 |
262人 (住民基本台帳、2013年12月) |
隣接地区 | 川西町・空港南町・大空町・基松町・豊西町・河西郡芽室町 |
特記事項:総人口のうち男:146人、女:116人 |
別府町(べっぷちょう)は、北海道帯広市にある地名である。別府町、別府町零号、別府町南13線、別府町南14線、別府町南15線、別府町南16線、別府町南17線、別府町南18線がある。2013年12月現在、世帯数117世帯、人口262人である。
概要
[編集]帯広市別府町は、帯広市南西部に位置する。1898年、岐阜県本巣郡穂積村大字別府(現 瑞穂市別府)から棚瀬太十朗を団長とする開拓団(12戸、62人)が入植し、開拓を始めた。地名は、故郷の別府から名付けられた。帯広市の市街地に近く、近郊農業として進展した。1976年、帯広刑務所が移転し、1997年、カルビーポテト本社工場が建設された。町内には別府神社がある。
沿革
[編集]1898年、岐阜県から開拓団が、ウエカリップ原野の一部である帯広原野に入植し、開拓を始めた。付近の原野に大農場の貸付けがあったこと、明治40年頃に帯広から別府間の道路が開通したことにより入植者が約3倍となった。プラウの使用による農耕により開墾は飛躍的に進んだ。1902年、上帯広村家庭教育所(後、帯広市立別府小学校)が設置され[1]、1906年には本願寺説教所の設置が許可された。1924年、十勝鉄道が開通し、沿線の開拓はさらに進行した。1927年、川西村字別府、1957年、帯広市大字川西町の一部となり、1963年、帯広市別府町となる。1976年、帯広刑務所庁舎や農場が移転した。1979年、帯広市立別府小学校が川西小学校に統合されて廃校となった[1]。
年表
[編集]- 1898年 (明治31年)- 岐阜県より開拓団が入植する。
- 1902年(明治35年)4月1日 - 北海道二級町村制施行により河西郡上帯広村が村制を施行する。
- 1902年(明治35年)4月1日 - 上帯広村家庭教育所(後、帯広市立別府小学校)が設置される。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 河西郡幸震村、売買村と合併により大正村となり、大正村大字上帯広村の一部となる。
- 1924年(大正13年)2月1日 - 大正村から分村し、川西村大字上帯広村の一部となる。
- 1927年(昭和2年) - 大字上帯広村を廃し、16の字を設定。当地は、別府となる。
- 1947年(昭和22年)5月1日 - 学制改革によって別府中学校が別府小学校に併設される[1]。
- 1951年(昭和26年) - 別府中学校が川西中学校に統合される[1]。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 川西村が帯広市に合併し、大字川西町の一部となる。
- 1963年(昭和38年) - 帯広市の町名編成により、別府町となる。
- 1976年(昭和51年) - 帯広刑務所が移転する。
- 1979年(昭和54年) - 帯広市立別府小学校が廃校
- 1997年(平成9年) - カルビーポテト帯広工場が操業開始[2]
企業・公共施設など
[編集]道路
[編集]- 高規格幹線道路
- 道道
教育
[編集]町内には学校はない。小中学生は、帯広市立川西小学校、帯広市立川西中学校に通学する[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d “とかち学び舎物語”. 2014年1月30日閲覧。
- ^ カルビーポテト. “カルビーポテトの歴史”. 2014年1月30日閲覧。
- ^ 帯広市. “通学区域”. 2014年1月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 角川書店『角川日本地名大辞典』 上、角川書店。ISBN 4040010116。