初代信国吉政
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信国吉政(初代)(のぶくに よしまさ (しょだい)|1590年(天正18年)か[1] - 1653年(承応2年)12月4日没、法名慶雪常快居士[2])は、刀工信国派十二代(筑前信国派初代信国吉貞)の長男で、父より来国行・正宗伝を、備前福岡一文字助宗に備前伝を受け[3]信国別家となる[4]。薙刀の名工と知られており、黒田家中で『平四郎の薙刀』と呼ばれて珍重された。初め、平助吉貞、平四郎、晩年は善雅と打つ。平四郎銘は出来頗る良し。二代と比べて現存数が極めて少ない。[5]俗名助左衛門[2]。
系譜
[編集]筑前信国派初代信国吉貞-吉政(吉貞長男:平四郎)-吉政(二代:平四郎)-吉政(三代:平四郎)後に重宗と改名)-吉政(四代:平四郎)-重久(弥九郎)-光昌(又左衛門)-美直(又は義直)-義昌-義一- 義直(平助)
生涯
[編集]1602年(慶長7年)父吉貞に連れられ豊前から筑前へ移住 [7]。 黒田長政の御前鍛刀を行い、1616年(元和2年)26歳で長政の命で備前へ行き、福岡一文字助宗伝を受け[3]、一代で三伝を鍛刀する。嫡家を弟信国吉次(勘助)に譲り別家になったのは1625年(寛永2年) - 1634年(寛永11年)の間か[8]。黒田藩工。
作品
[編集]- 刀 銘「筑前住源信国善雅」 刃長二尺一寸三分 飯塚市個人蔵[8]
- 脇指 銘「信國吉政作」[9]
- 脇指 銘「筑前住信國源吉政」[9]
- 脇指 銘「源信国平四郎吉政作」 刃長一尺五寸三分半・京信国写し 北九州市個人蔵 [10]
- 刀 銘「筑前住源信国善雅」 刃長二尺二寸九分 福岡市個人蔵
脚注
[編集]- ^ 津田元顧・元貫『石城志』1977
- ^ a b 福岡市安国寺過去帳
- ^ a b 加藤一純, 鷹取周成共著 ; 川添昭二, 福岡古文書を読む会校訂『筑前國続風土記附録: 巻47. 土産考上』p.100-102
- ^ 貝原益軒; 伊東尾四郎『筑前國續風土記』(増補)文献出版、1977年。 NCID BN02813300。
- ^ 川口陟; 飯田一雄『刀工総覧』(25版)刀剣春秋新聞社、1977年。 NCID BA3703032X。
- ^ 「信国平助届出」『長政公御入国ヨリ二百年町家由緒記』(『福岡藩仰古秘笈』巻27所収、福岡県立図書館蔵)、九州大学デジタルアーカイヴで「仰古 秘笈 長政公 御入国」を検索 http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/search/index.html
- ^ 「信國初ノ系圖代々祖子付之事」慶長6年(1601年)3月28日信国吉貞筆8年の誤写、寛政3年(1791年)写本(福岡藩旧蔵『福岡藩仰古秘笈』巻25所収、福岡県立図書館)九州大学デジタルアーカイヴで「仰古 秘笈 信国」を検索し『福岡県史編纂資料』を選択 http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/search/index.html
- ^ a b c d 久野繁樹「筑前新刀の研究(一)」『刀剣美術』
- ^ a b 黒川宏明「大宰府天満宮の宝刀(一)太刀「信国」について」『とびうめ』104,1997.6, p.15に京信国写し、銘は信国の國字正字。
- ^ 日本美術刀剣保存協会保存刀剣鑑定書 平成二十一年三月四日 脇差 銘『源信国平四郎吉政作』(初代にて合格)