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円墳大塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
円墳大塚古墳 / 皆野大塚古墳

墳丘(階段左脇に石室開口部)
所在地 埼玉県秩父郡皆野町大字皆野95(字毛無塚)
位置 北緯36度3分37.40秒 東経139度5分48.55秒 / 北緯36.0603889度 東経139.0968194度 / 36.0603889; 139.0968194座標: 北緯36度3分37.40秒 東経139度5分48.55秒 / 北緯36.0603889度 東経139.0968194度 / 36.0603889; 139.0968194
形状 円墳
規模 直径33m
高さ7m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
築造時期 7世紀前半
史跡 埼玉県指定史跡「円墳大塚古墳」
地図
大塚古墳の位置(埼玉県内)
大塚古墳
大塚古墳
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円墳大塚古墳(えんふんおおつかこふん)または皆野大塚古墳(みなのおおつかこふん)は、埼玉県秩父郡皆野町皆野にある古墳。形状は円墳。埼玉県指定史跡に指定されている。

概要

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埼玉県西部の簑山西麓、荒川右岸の低位段丘最上段に築造された大型円墳である[1]江戸時代の『新編武蔵国風土記稿』に「氷ノ雨塚」として当時すでに開口した石室の内部が記述されるほか[1]、これまでに発掘調査は実施されていない。

墳形は円形で、直径約33メートル・高さ約7メートル[2](または直径18メートル・高さ5メートル[1])を測る。墳丘表面には円礫の葺石が認められるが、埴輪は検出されていない[2]。また墳丘周囲には幅約4メートル・深さ約1メートルの周溝が巡らされる[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南南西方向に開口する。秩父地方では有数の規模の石室であるが、盗掘に遭っているため副葬品は詳らかでない[2]。築造時期は古墳時代終末期の7世紀第2四半期頃と推定される[2]

古墳域は1958年昭和33年)に埼玉県指定史跡に指定された。現在では石室内への立ち入りは制限されている。

埋葬施設

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石室内部

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:現存9.1メートル
  • 玄室:長さ5メートル、幅3.15メートル(中央部)・2.9メートル(奥壁)、高さ2.9メートル

石室の石材は片岩[2]。玄室の平面形は、中央部が膨らむ胴張り形である。羨道入り口(羨門)付近は破壊を受けているが、玄室入り口(玄門)付近は門柱・冠石・框石が良好に遺存する[2]。天井と奥壁は巨石によって構築され、側壁は下部に大型の割石を縦に、上部に小型の割石を小口積みにして構築されており、石の間隙には小石・石綿が充填される[2]。壁石は持ち送り、ドーム状天井を形成する[2]。床面にはこぶし大の川原石が敷かれる[2]

文化財

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埼玉県指定文化財

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  • 史跡
    • 円墳大塚古墳 - 1958年(昭和33年)3月20日指定[3]

脚注

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  1. ^ a b c d 大塚古墳(平凡社) 1993.
  2. ^ a b c d e f g h i j 史跡説明板。
  3. ^ 円墳大塚古墳(皆野町)。

参考文献

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  • 史跡説明板(埼玉県教育委員会・皆野町教育委員会、1994年設置)
  • 原田道雄「大塚古墳 > 皆野大塚古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 「大塚古墳」『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』平凡社、1993年。ISBN 4582490115 

関連項目

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外部リンク

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