円光寺 (京都市左京区)
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圓光寺 | |
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枯山水の奔龍庭 | |
所在地 | 京都府京都市左京区一乗寺小谷町13 |
位置 | 北緯35度2分42秒 東経135度47分49秒 / 北緯35.04500度 東経135.79694度座標: 北緯35度2分42秒 東経135度47分49秒 / 北緯35.04500度 東経135.79694度 |
山号 | 瑞巌山(ずいがんさん) |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
本尊 | 千手観音 |
創建年 | 慶長6年(1601年) |
開山 | 閑室元桔 |
開基 | 徳川家康 |
文化財 | 円山応挙筆 紙本墨画竹図、絹本着色元佶和尚像、伏見版木活字52,320個(重要文化財) |
法人番号 | 6130005001099 |
円光寺(えんこうじ)は、京都市左京区一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は瑞巌山(ずいがんさん)。本尊は千手観音。開基(創立者)は徳川家康。正式には圓光寺と表記する。当寺では徳川家康の命により、日本における初期の活字本の一つである「伏見版」の印刷事業が行われた。秋は紅葉の名所となり多くの人が訪れる。
歴史
[編集]徳川家康により慶長6年(1601年)に足利学校の第9代の庠主(しょうしゅ、学頭)であった閑室元佶が招かれ、伏見城下に伏見学校円光寺として建立されたのに始まる。
当寺は学校でもあったので、家康から与えられた木活字を用いて、『孔子家語』(こうしけご)『貞観政要』(じょうがんせいよう)、『三略』などの儒学・兵法関連の書物を刊行した。これらの書物は伏見版、あるいは円光寺版と呼ばれ、そのとき使用された木製の活字が保存されている。その数は約5万個にのぼり日本最古の活字であり重要文化財となっている[1]。
その後、当寺は相国寺山内に移り、更に三世澤雲祖兌禅師のとき、寛文7年(1667年)に現在地に移された[2]。
明治時代以降、臨済宗南禅寺派の尼僧の修行道場となっていた時もあった。
境内
[編集]- 本堂
- 庭園「十牛之庭」 - 洛北で最も古いといわれる栖龍池(せいりゅうち)と水琴窟がある。
- 庫裏
- 茶室「待月庵」
- 中門
- 庭園「奔龍庭」 - 枯山水庭園。
- 瑞雲閣 - 展示室。伏見版木活字や円山応挙筆の「雨竹風竹図屏風」などがある。
- 坐禅堂
- 鐘楼
- 応挙竹林
- 東照宮 - 開基堂。ここからの洛北地域の展望は良い。
- 徳川家康の墓 - 家康の歯を埋めたとされる。
- 村山たか(たか女)の墓 - 最初の大河ドラマとされる『花の生涯』ヒロイン。大老井伊直弼と親しく安政の大獄に加担、晩年を近隣の金福寺にて尼僧として過ごした。
- サイド・オマールの墓 - 第二次世界大戦中に日本に留学していたマレーシア出身の留学生(南方特別留学生)で、広島で被爆し京都で死去した。
- 山門
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山門
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奔龍庭と奥に中門と本堂
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瑞雲閣と奔龍庭
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坐禅堂内部
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書院と十牛之庭
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十牛之庭
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手水鉢と水琴窟
文化財
[編集]重要文化財
[編集]- 紙本墨画竹図(雨竹風竹図) - 六曲屏風一双、円山応挙筆。
- 絹本著着色元佶和尚像 - 自賛あり。
- 伏見版木活字 52,320個(附:摺刷盤2面)
拝観
[編集]拝観料は大人500円・中高校生400円・小学生300円。9時から17時まで開門。
要予約・有料(2017年現在1000円)で紅葉期のみ7時30分から約1時間の早朝拝観ができる。坐禅堂では日曜日の朝6時から2時間にわたり日曜坐禅会が行われており、要予約・志納でだれでも座禅だけでなく、作務(境内掃除の修行)や法話・粥坐(朝粥を食べるのも修行のひとつとされている)を体験できる。
近隣
[編集]交通アクセス
[編集]- 車 拝観者専用の無料駐車場がある。途中の道が狭隘なので注意を要する。
- バス 京都市営バス5・北8系統、京都バス18・56系統 「一乗寺下り松町」下車 東へ約400メートル。詩仙堂前を左折してすぐ。
- 鉄道 叡山電鉄叡山本線一乗寺駅下車 東へ約700メートル
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 竹貫元勝『京都の禅寺散歩』、雄山閣、1994
- 「新指定の文化財」『月刊文化財』346号、1992
- 「京都の出版」(京都市歴史資料館サイト)