内藤政和
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明7年6月2日(1787年7月16日) |
死没 | 文化3年10月17日(1806年11月26日) |
改名 | 亀之助、政和 |
戒名 | 敬徳院 |
墓所 | 神奈川県鎌倉市の光明寺 |
官位 | 従五位下備後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 日向延岡藩主 |
氏族 | 内藤氏 |
父母 | 父:内藤政脩、養父:内藤政韶 |
子 | 養子:政順 |
内藤 政和(ないとう まさとも)は、江戸時代後期の大名。日向国延岡藩の第5代藩主。官位は従五位下・備後守。延岡藩内藤家宗家10代。
略歴
[編集]天明7年(1787年)6月2日、第3代藩主・内藤政脩の長男として江戸で誕生。幼名は亀之助。
寛政12年(1800年)、先代藩主の政韶の養嗣子となり、享和2年(1802年)の政韶の死去により跡を継ぐ。しかし、文化3年(1806年)10月17日、20歳で江戸にて死去した。嗣子がなく、跡を養父・政韶の長男の政順が継いだ。法号は敬徳院。墓所は神奈川県鎌倉市の光明寺。
系譜
[編集]父母
養子