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内藤政和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
内藤政和
時代 江戸時代後期
生誕 天明7年6月2日1787年7月16日
死没 文化3年10月17日1806年11月26日
改名 亀之助、政和
戒名 敬徳院
墓所 神奈川県鎌倉市光明寺
官位 従五位下備後守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
日向延岡藩
氏族 内藤氏
父母 内藤政脩養父内藤政韶
養子政順
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内藤 政和(ないとう まさとも)は、江戸時代後期の大名日向国延岡藩の第5代藩主官位従五位下備後守。延岡藩内藤家宗家10代。

略歴

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天明7年(1787年)6月2日、第3代藩主・内藤政脩の長男として江戸で誕生。幼名は亀之助。

寛政12年(1800年)、先代藩主の政韶の養嗣子となり、享和2年(1802年)の政韶の死去により跡を継ぐ。しかし、文化3年(1806年)10月17日、20歳で江戸にて死去した。嗣子がなく、跡を養父・政韶の長男の政順が継いだ。法号は敬徳院。墓所は神奈川県鎌倉市光明寺

系譜

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父母

養子