内田正衆
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 正保2年(1645年) |
死没 | 元禄12年2月4日(1699年3月5日) |
改名 | 長十郎(幼名)、正衆 |
戒名 | 快寿院殿真岸惣相大居士 |
墓所 | 東京都台東区蔵前の竜宝寺 |
官位 | 従五位下、出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下野国鹿沼藩主 |
氏族 | 内田氏 |
父母 | 父:内田正信、母:酒井直次の養女 |
兄弟 | 新五郎、正衆 |
妻 | 正室:久世広之の娘 |
子 |
正勝、正房(2男)、正長(3男)、 久世正広(4男)、正清、娘(水野勝長正室)、 娘(織田長清継室のち上田義隣継室)、 娘(小浜行隆正室のち松平直之継室) |
内田 正衆(うちだ まさもろ)は、江戸時代の大名。下野鹿沼藩の第2代藩主。小見川藩内田家2代。
正保2年(1645年)、初代藩主・正信の次男として生まれる。長兄の新五郎が早世したために世子となり、慶安4年(1651年)に父が殉死したため、跡を継いで藩主となる。万治元年(1658年)閏12月27日に叙任する。元禄12年(1699年)2月4日に死去。享年55。跡を長男・正勝の長男である正偏が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 久世広之の娘
子女