内山正治
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内山 正治(うちやま しょうじ、1851年6月30日(嘉永4年6月2日[1])- 1911年(明治44年)1月8日[1][注釈 1])は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]越中国婦負郡石坂村[1](富山県[2]婦負郡石坂村、桜谷村[3]を経て現富山市[1])で、十村役を務めた内山吉治の息子として生まれた[1]。1864年(元治元年)富山藩の高島流兵式練修を命じられ[1]、さらに仏式兵法を修めた[2][3]。農業を営む[2][3]。
1876年(明治9年)石川県越中第11大区戸長に就任[1]。石坂村外11カ村戸長、田刈屋外23カ村戸長を歴任[1]。その他、学務委員、村会議員、町村組合会議員、所得税調査委員、用水組合会議員なども務めた[2][3]。
1888年(明治21年)富山県会議員に選出され[1][2][3]、1892年(明治25年)まで在任[1]。1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(富山県第1区、無所属)で当選し[4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』94頁、『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』72頁では1月9日。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『富山大百科事典 上巻』北日本新聞社、1994年。