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六ツ美町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
六ツ美村から転送)
むつみちょう
六ツ美町
1962年に岡崎市に編入された六ツ美町
1962年に岡崎市に編入された六ツ美町
廃止日 1962年10月15日
廃止理由 編入
現在の自治体 岡崎市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
碧海郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 10,186
国勢調査、1960年)
隣接自治体 碧海郡桜井町、岡崎市、西尾市額田郡幸田町
六ツ美町役場
所在地 愛知県碧海郡六ツ美町大字下青野
座標 北緯34度54分48秒 東経137度07分36秒 / 北緯34.91322度 東経137.12672度 / 34.91322; 137.12672座標: 北緯34度54分48秒 東経137度07分36秒 / 北緯34.91322度 東経137.12672度 / 34.91322; 137.12672
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1917年の六ツ美村
1915年6月5日に開催された悠紀斎田お田植えまつり

六ツ美町(むつみちょう)は、かつて愛知県碧海郡にあったである。

現在の岡崎市の南西部、矢作川の東岸である。

沿革

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  • 江戸時代末期、この地域は岡崎藩領、旗本領などであった。
  • 1906年(明治39年)5月1日 - 占部村糟海村中井村中島村合歓木村上青野村が合併し、六ツ美村が発足。
  • 1914年(大正3年)3月6日 - 中島大字下中島字上丸ノ内の田が悠紀斎田(ゆきさいでん)に選ばれる。
  • 1915年(大正4年)
  • 1958年(昭和33年)10月15日 - 六ツ美村が町制を施行し、六ツ美町が発足。
  • 1959年(昭和34年)5月 - 六ツ美町長に鍋田紀之が就任(最後の町長)[4]
  • 1962年(昭和37年)
    • 3月30日 - 六ツ美町31部落のうち、26部落が岡崎市への合併賛成、中島5部落が未定という意見がまとめられる[5]
    • 4月 - 西尾市が六ツ美町に対し、公文書をもって全町合併の申し入れをする[5]
    • 6月 - 西尾市は全町合併は困難と判断し、六ツ美町南部の合併を申し入れる。その後さらに要求を縮小し、中島5部落だけの合併を申し入れる[5]
    • 7月24日 - 中島5部落を含め六ツ美町の90%以上の住民が、岡崎市合併に関し賛同の意を表明[5]
    • 7月27日 - 岡崎市と六ツ美町全域の合併が決定[5]
    • 10月15日 - 岡崎市に編入される[6]

教育

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中学校

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小学校

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交通

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娯楽

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  • マルス劇場 - 映画館[11]

脚注

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  1. ^ 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、614頁。 
  2. ^ 岡崎市/教えてバンク(よくある質問)/地域振興/観光振興/悠紀斎田お田植えまつりについて知りたい。
  3. ^ 野々山克彦『大嘗祭 悠紀斎田』野々山克彦、2014年4月1日、55頁。 
  4. ^ 『新編 岡崎市史 現代 5』新編岡崎市史編さん委員会、1985年12月28日、614頁。 
  5. ^ a b c d e 『新編 岡崎市史 現代 5』新編岡崎市史編さん委員会、1985年12月28日、272頁。 
  6. ^ 市政だより No.92” (PDF). 岡崎市役所. p. 1 (1962年11月1日). 2020年3月8日閲覧。
  7. ^ 岡崎市合併後に六ツ美北中学校を分離。
  8. ^ 岡崎市合併後に六ツ美北部小学校、六ツ美西部小学校を分離。
  9. ^ 1943年12月16日休止。1959年11月20日廃止。
  10. ^ 停留所扱い。1915年廃止。
  11. ^ 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。同文献を出典としている1960年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照した。

関連項目

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