八百姫
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八百姫(やおひめ、天保10年2月19日(1839年4月2日) – 明治10年(1877年)7月17日)は、薩摩藩の一門重臣島津貴敦の正室。父は八戸藩主・南部信順(薩摩藩主島津重豪の十四男)。
生涯
[編集]八百姫は天保10年(1839年)に八戸藩江戸屋敷にて南部信順の娘として誕生した。幼名は朝(あさ)。嘉永4年(1851年)3月に垂水島津家の島津貴敦に嫁いだ。薩摩藩主島津斉彬の書状に「南部娘」という記述が見られ、一時期は徳川家定の御台所候補として挙げられたこともある[1]。
八百姫の墓所は鹿児島県垂水市にあり、地元では垂水人形保存会による「八百姫人形」の垂水人形もつくられている。
参考文献
[編集]- 『八戸南部史稿』八戸市、1999年
脚注
[編集]- ^ 八百姫 篤姫と並び脚光(東奥日報、2008年12月28日)
関連項目
[編集]- 広大院(八百姫の伯母にあたる)