八田裕二郎
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八田 裕二郎(はった ゆうじろう、嘉永2年11月17日[1](1849年12月31日) - 昭和5年(1930年)1月23日[2])は、日本の海軍軍人。衆議院議員(立憲政友会→公正会→憲政会)。
経歴
[編集]福井市出身。八田家は越前福井城主・松平家の家臣の家柄。1869年(明治2年)海軍兵学寮に入った後、1871年(明治4年)に東郷平八郎と共にイギリスへ留学[2]。1878年(明治11年)にグリニッジ海軍大学を卒業した[2]。海軍では大佐まで累進し、その間に東伏見宮付武官、イギリス公使館付武官、フランス公使館付武官を務めた[1][2]。退役後は育英事業・船舶事業に従事する[2]。
1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し当選。続く第12回衆議院議員総選挙でも再選された。正六位、勲四等。
1893年(明治26年)、軽井沢に初めて別荘を建てた日本人としても知られる。その木造二階建ての建物は2014年(平成26年)に保存のため軽井沢町へ寄贈され、八田別荘の名称で令和の今も現存している。
家族・親族
[編集]妻・ためは百瀬彌十郎の五女。長女・あいは森村商事重役の田中實に、二女・榮は田中銀行取締役の田中銀之助に、三女とめは土屋禎二に、四女・重子は深田銀行頭取・深田米次郎の長男・謙介に、五女・清子は横浜正金銀行勤務の豊間根繁直に、六女・徳子は慶應義塾大学教授の野村兼太郎に嫁いだ[3]。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。