八条村 (埼玉県)
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はちじょうむら 八条村 | |
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廃止日 | 1956年(昭和31年)9月28日 |
廃止理由 |
分割・新設合併、編入合併 八条村(八条・鶴ヶ曽根・松之木・伊草・小作田)、八幡村・潮止村 → 八潮村 八条村(立野堀)→ 北足立郡草加町 |
現在の自治体 | 草加市、八潮市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 南埼玉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,216人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 |
北足立郡草加町、 南埼玉郡八幡村、潮止村、 北葛飾郡彦成村 |
八条村役場 | |
所在地 | 埼玉県南埼玉郡八条村 |
座標 | 北緯35度50分14秒 東経139度50分05秒 / 北緯35.83722度 東経139.83475度座標: 北緯35度50分14秒 東経139度50分05秒 / 北緯35.83722度 東経139.83475度 |
ウィキプロジェクト |
八条村[1](はちじょうむら)は、埼玉県東部、南埼玉郡に存在した村。1956年(昭和31年)9月28日に北足立郡草加町と南埼玉郡八潮村に分村合併し、北足立郡草加町、南埼玉郡八潮村となり消滅した。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い八条村・鶴ヶ曽根村・松之木村・伊草村・小作田村・立野堀村が合併し、南埼玉郡八条村が成立する。大字鶴ケ曽根に八条村役場が置かれる[2]
- 1947年(昭和22年)9月19日 - カスリーン台風が襲来、地内の中川の右岸が決壊し大きな被害を出す。
- 1956年(昭和31年)9月28日 - 八条村のうち八条・鶴ヶ曽根・松之木・伊草・小作田が八幡村・潮止村と合併(新設合併)し、南埼玉郡八潮村となる。八条村消滅。大字は八潮村へ継承された。同日、八条村のうち大字立野堀が北足立郡草加町(現:草加市稲荷)に編入される。村役場は八条支所となる。
由来
[編集]関係諸村において八条村が大きな村で、この辺りの中心であったことや[3]、中世末期からの郷村名の八条郷に因む[2]。
歴代村長
[編集]- 初代:鈴木仁左衛門(1889年6月-1905年6月)
- 第2代:太田益太郎(1905年8月-1908年6月)
- 第3代:大津藤左衛門(1908年7月-1912年7月)
- 第4代:飯山幾太郎(1912年8月-1914年2月)
- 第5代:会田五郎(1914年3月-1914年9月)
- 第6代:鈴木寅一郎(1914年9月-1916年7月)
- 第7代:齋藤幸蔵(1916年7月-1918年6月)
- 第8代:池田常吉(1918年8月-1919年3月)
- 第9代:太田益太郎(1920年6月-1925年1月)
- 第10代:会田五郎(1925年2月-1925年2月)
- 第11代:齋藤幸蔵(1925年7月-1929年7月)
- 第12代:飯山誠(1929年9月-1930年4月)
脚注
[編集]- ^ 現在の大字名は「八條」だが、條が条の旧字体であることと、『角川日本地名大辞典』、『日本歴史地名体系 埼玉県の地名』(平凡社、1993年)の記載から「八条村」とした。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 685-686頁。
- ^ 秋本弘章「地域開発と地名 ―八潮市南部地区における町名問題に関連して―」『環境共生研究』第6号、獨協大学環境共生研究所、2013年3月、27頁、ISSN 1882787X。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 八條村(町村制) - れきナビ―やしお歴史事典(八潮市立資料館)