全州秋氏
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全州秋氏 | |
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氏族 | |
国 | 朝鮮 |
領地 | 全州市 |
家祖 | 秋饁 |
著名な人物 | 秋水鏡 |
全州秋氏(チョンジュチュし、ぜんしゅうしゅうし、朝鮮語: 전주추씨)は、朝鮮の氏族の一つで、秋渓秋氏(추계추씨、2015年では45,766人)の同源分派とされる[1]。本貫は全羅北道全州市である。2015年の調査では、1,953人[2]。
始祖は、中国の宋高宗時代の1141年に文化及第、門下侍中の官職を務めた秋饁である。秋饁の10代子孫の秋水鏡が、文禄・慶長の役の際に万暦帝の王命を受けて、秋蘆と秋荻の2人の息子と5000人の兵士を率いて鴨緑江を渡河して参戦、その後、3男秋菊と4男秋芝、5男秋蘭も参戦した。彼ら一族は、文禄・慶長の役において数々の武勲を挙げるが、戦争後も帰国せずに、全州に居住する。その子孫一族が全州秋氏である。
脚注
[編集]- ^ “추씨(秋氏) 본관(本貫) 추계(秋溪)입니다.”. www.findroot.co.kr. 2022年5月31日閲覧。
- ^ “KOSIS”. kosis.kr. 2022年11月27日閲覧。
参考文献
[編集]- “추수경(秋水鏡)”. 韓国民族文化大百科事典. オリジナルの2022年10月24日時点におけるアーカイブ。
- “추수경 秋水鏡,1530~1600”. 斗山世界大百科事典. オリジナルの2022年11月28日時点におけるアーカイブ。