光村利弘
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光村 利弘(みつむら としひろ、1901年-1943年)は、日本の写真家である。ピクトリアリスム(芸術写真)、新興写真の分野で活躍。撮影対象としては、ピクトリアリスムでも、風景写真よりも、静物写真を得意とした。
人物・来歴
[編集]資料がなく、経歴の詳細は不明。
淵上白陽が主宰した「日本光画芸術協会」解散の後を受ける形で山本牧彦を中心に1928年に結成された「日本光画協会」に参加。
木村専一、堀野正雄、渡辺義雄、伊達良雄(1907年-1946年)、古川成俊(1900年-1996年)らとともに、新興写真研究会(1930年結成)のメンバーであった。その会誌でもある雑誌『新興写真研究』の第2号および第3号には、光村利弘の写真作品が掲載されている。(下記参考文献(金子隆一による文献)参照)
「フォトタイムス」(オリエンタル写真工業)、「カメラ」(アルス)にも記事を執筆した。
写真集・著書
[編集]- 静物写真の写し方(玄光社、1936年3月11日印刷、1936年3月15日発行)
- 主要目次
- 静物画の沿革、写真画としての静物、静物画の面白味と利点、静物写真の種類、画材の選択、画材の組合せ、画材の配置、構図(コンポジション)に就いて、静物作画に於ける背景、採光のこと、特別な技巧を必要とする撮影、静物写真用カメラとレンズ、静物作画に用いられる特別な技法、静物の夜間撮影、静物撮影における露出の注意、ハイ・キー及びロー・キー、附録
- 図版:口絵全24図、挿絵(写真)全48図(すべて光村利弘本人の作品)
- 主要目次
参考文献
[編集]- 日本写真全集(全12巻、小学館、1986年~1988年、編集委員:小沢健志・桑原甲子雄・重森弘淹・田中雅夫・中井幸一)にその写真作品が掲載されている。
- 第6巻(ヌードフォト)図版ナンバー29(33ページ)、「裸体習作」、1924年、雑誌『カメラ』1924年9月号より(サイズなどは記載なし)
- 左ひざを床につき、右ひざを立て、両手を床に触れようという男を右側面から捉えたメールヌード。同書の見開きの向かい側のページ(32ページ)に掲載されている玉村騎兵作品の男性モデルと同一人物ではないかと推測される。
- 第6巻(ヌードフォト)図版ナンバー29(33ページ)、「裸体習作」、1924年、雑誌『カメラ』1924年9月号より(サイズなどは記載なし)
- 日本写真史1840-1945(日本写真家協会編、平凡社、1971年)にその写真作品が掲載されている。
- 図版ナンバー296:「メーキャップ」(1934年)
- 金子隆一・新興写真研究会についての試論・東京都写真美術館紀要第3号(2002年):以下の資料を含む
- 資料1. 機関誌『新興写真研究』総目次
- 第2号(1931年1月発行):写真 光村利弘「(題名なし)」
- 第3号(1931年7月発行):写真 光村利弘「ポスター1」「ポスター2」
- 資料2. 新興写真研究会会員一覧
- 資料3. 新興写真研究会展
- 資料1. 機関誌『新興写真研究』総目次