光明寺 (平塚市)
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光明寺 | |
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観音堂 | |
所在地 | 神奈川県平塚市南金目896[1] |
位置 | 北緯35度21分31.5秒 東経139度17分19.6秒 / 北緯35.358750度 東経139.288778度座標: 北緯35度21分31.5秒 東経139度17分19.6秒 / 北緯35.358750度 東経139.288778度 |
山号 | 金目山[2] |
宗派 | 天台宗[2] |
本尊 | 聖観世音菩薩[1] |
創建年 | (伝)702年[1] |
開基 | (伝)道儀[2] |
中興 | 慶賀[2] |
別称 | 金目観音 |
札所等 | 坂東三十三観音 第7番[1] |
文化財 |
本堂内厨子(重要文化財) 観音堂、木造金剛力士立像、光明寺銅鐘(県文化財)ほか |
法人番号 | 9021005006947 |
光明寺(こうみょうじ)は、神奈川県平塚市にある天台宗の寺院。山号は金目山(かなめさん)。本尊は聖観世音菩薩で、金目観音とも称される。坂東三十三観音第7番札所である。
本尊真言:おん あろりきゃ そわか
ご詠歌:なにごともいまはかなひの観世音 二世安楽とたれか祈らむ
歴史
[編集]伝承によれば702年(大宝2年)に海女が海中から観音像を得たという。その後道儀上人が一宇を建立しこの観音像を安置したのが光明寺の始まりという。
中世には源頼朝の帰依を得、寺領も寄進されている。江戸時代には江戸幕府の帰依を得、1697年(元禄10年)に伽藍が復興されている。明治初期には一時衰退したが、近年復興された。
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]- 本堂内厨子(附:木造聖観音立像)
- 室町時代、1498年(明応7年)の造営。内部に本尊聖観音像を安置する。前立(まえだち)の聖観音像の胎内銘から造営年代が判明する。前立聖観音像は参考資料として重要文化財の附(つけたり)指定となっている。
神奈川県指定重要文化財
[編集]- 光明寺観音堂
- 木造金剛力士立像
- 光明寺銅鐘
平塚市指定重要文化財
[編集]- 木造聖観音立像
- 木造観音三十三応現身立像
- 仁王門
- 光明寺古文書
- 光明寺縁起書
交通
[編集]前後の札所
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 坂東三十三番観音公式サイト.
- ^ a b c d 新編相模国風土記稿 南金谷村 金目観音別当光明寺.
参考文献
[編集]- 「糟屋庄 南金谷村 金目観音別当光明寺」『大日本地誌大系』 第38巻新編相模国風土記稿3巻之49村里部大住郡巻之8、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179219/47。
外部リンク
[編集]- “第7番 金目山 光明寺(金目観音)”. 坂東三十三番観音公式サイト. 2021年9月5日閲覧。
- “平塚市内の指定・登録文化財一覧”. 2021年9月5日閲覧。