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光墨弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

光墨 弘(みつずみ ひろし、1909年-1977年)は、日本の写真家光画NIPPONFRONT写真週報などに写真を掲載した、報道写真系統の写真家である。

初期の経歴は、資料がなく不明。

1931年、野々宮写真館の助手となり、野島康三に師事する

1935年、日本工房に入る。NIPPONにその写真作品が掲載される。

1938年11月8日から12日にかけて日本橋小西六ホールにて開催された「12回野々宮展」に写真作品1点を出品している(渋谷区立松濤美術館の「生誕120年 野島康三−肖像の核心展」(2009年)出品の案内より)。

1938年には、土門拳藤本四八濱谷浩田村茂林忠彦杉山吉良加藤恭平 (写真家)梅本忠男らとともに青年報道写真研究会を結成した。

1941年には、渡辺義雄菊池俊吉濱谷浩渡辺勉、大木実、林重男、薗部澄らとともに東方社に参画。『FRONT』掲載の写真を撮影するなどの活動を行った。

1941年11月、陸軍徴用を受ける。開戦後、マライ方面航空作戦に、航空部隊付報道班員を命ぜられる。1942年12月、帰還。その間に撮影した写真の一部が、下記「南方報道写真集マライ」にまとめられている。

その他、光画写真週報にもその写真作品が掲載されている。

なお、太田英茂とも関係があり、『広告はわが生涯の仕事に非ず ―― 昭和宣伝広告の先駆者・太田英茂 ――』(多川精一・岩波書店2003年)に掲載された「太田英茂の再上京を歓迎する会に集まった弟子たち(1951年3月)」という写真には、光墨弘も写っている(岩波書店のページ)。弟子だったといえる可能性もある。

光墨弘についてのまとまった展覧会や文献は、2011年現在存在しない。

著書

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  • 南方報道写真集マライ(光墨弘著・東亜文化書房・1944年6月15日印刷、8月30日発行):国立国会図書館に所蔵されている
    • 光墨弘の写真作品以外に、大林清執筆の「陸鷲に従えて」、光墨弘本人執筆の「あとがき」が掲載されている。
    • 東亜文化書房の住所:東京都淀橋区戸塚町三ノ九三四
    • 売価(税込)八円五十銭

参考文献

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  • 日本写真全集(全12巻、小学館(1986年1988年)、編集委員:小沢健志桑原甲子雄重森弘淹田中雅夫中井幸一)にその写真作品が掲載されている。
    • 第3巻(近代写真の群像)図版ナンバー133:タイトル「……」(1932年)
  • 光画傑作選 日本写真史の至宝・別巻(監修・解説・飯沢耕太郎金子隆一国書刊行会、2005年):光墨弘の作品として次の2点が掲載されている
    • 「・・・・」(光画1巻5号掲載)
    • 「フォトグラム」(光画1巻6号掲載)