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先制的内戦戦略

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

先制的内戦戦略(せんせいてきないせんせんりゃく)とは、日本の新左翼の一派である革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の1970年代以降の政治思想の一つで「現状の日本は、いわゆる革命前夜の状況下にあり、革命の起爆剤として各種武装闘争を展開する」というものである。

概要

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1962年の分裂以来、中核派と革マル派は対立を続けていた。1970年8月、中核派活動家が革マル系学生をリンチ殺害するという事件を起こす(海老原事件)。この内ゲバ殺人について中核派指導部は沈黙し、革マル派は「同志海老原(被害者)の死に報いるには、殺人者集団ブクロ中核派のせん滅以外にはありえない」「彼らをひとり残さず殲滅し尽くす」と中核派せん滅宣言を出した。以後両者の間での暴力と殺人の応酬はエスカレートし、泥沼化した[注釈 1][1]。中核派は現状を「革命と反革命の内戦の時代」と規定して、「内乱的死闘の70年代」のスローガンを掲げて武装闘争路線を進めた。

1971年、中核派は「警察=革マル派」という「K=K連合」説を唱え、「カクマルせん滅」の「全面戦争」を宣言した[2]。更に1975年10月、中核派最高指導者の清水丈夫が「敵階級に対して一歩先んじた形で内戦陣形を組織していき、この中で武装闘争の実践的企て」をはかるとした「先制的内戦戦略」を打ち出し、それまで以上に内ゲバを激化させた[3][4][5]

支配階級は、プロレタリア人民が蜂起に向かって本格的に武装する前に、平時や過渡的段階から反革命テロルや武装闘争を組織する。……現代の階級闘争のこの顕著な傾向に対して革命党は反革命暴力への武装自衛という本格的権利を前面におしだして、革命的武装をかちとり、自己を守り抜いていくためにも積極的に革命的内乱を組織し断行していくべき。
本格的内戦期にいたる前から、敵の先行的・内乱的反革命に対して革命の側が積極的に先制的に内線を組織して、これを打ち破って情勢を左から成熟させていく……革命党はこれに対する非合法・非公然体制をとり、積極的にたたかうことを通して蜂起の準備をなしとげていく。

1991年、中核派は「五月テーゼ」を発表し、当面は大衆闘争に重きを置くこととし、この先制的内戦戦略は事実上先送りされることとなった。

脚注

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注釈

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  1. ^ 革マル派は「海老原事件は、前代未聞の無原則的な集団リンチ、政治組織としての目的意識性を欠如した非組織的殺人」などと強調したが、小西は60年代後半には内ゲバが諸党派間で定着しており、中でも革マル派がそれを主導してきたことを指摘している[1]

出典

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  1. ^ a b 小西 2001, pp. 20–49.
  2. ^ 小西 2001, pp. 58–65.
  3. ^ 小西 2001, pp. 65–67.
  4. ^ 『新左翼運動40年の光と影』渡辺・塩川・大藪編(新泉社、1999年9月)
  5. ^ 『つぶせ侵畋派兵: 現代の戦争と中核派の主張』(前進社、1991年)p186

参考文献

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  • 小西誠「第1章 革共同両派の内ゲバの歴史・理論と実態」『検証 内ゲバ―日本社会運動史の負の教訓』社会批評社、2001年。ISBN 4-916117-47-6OCLC 49824235 
  • 月刊治安フォーラム編集部編『あばかれる過激派の実態』立花書房、1999年

関連項目

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