儀徳天満宮
儀徳天満宮 | |
---|---|
所在地 | 佐賀県鳥栖市儀徳町2841 |
位置 | 北緯33度21分18秒 東経130度29分29秒 / 北緯33.35500度 東経130.49139度座標: 北緯33度21分18秒 東経130度29分29秒 / 北緯33.35500度 東経130.49139度 |
主祭神 |
菅原道真 島田宣来子 |
創建 | 1700年?(元禄13年?) |
例祭 | 10月上旬 |
地図 |
儀徳天満宮(ぎとくてんまんぐう、旧字体:儀德天滿宮)は、佐賀県鳥栖市儀徳町(旧 肥前國養父郡儀德村)にある神社。地元の人々からは「儀徳天神さん」と愛称で呼ばれる。
歴史
[編集]京都の北野天満宮より勧請を受けたことは、ほぼ確定であるが、創建された年代は1700年(元禄13年)説と1649年(慶安2年)説がある。文献上には1649年(慶安2年)に「天満社」と記されているが、本殿前にある最古の石灯篭には1700年(元禄13年)と記されており、実際に創建された年代は不明である。なお、儀徳町側は1700年(元禄13年)創建説を採用している。
祭神
[編集]- 菅原道真(すがわらの みちざね、旧字体:菅原道眞)
- 島田宣来子(しまだ のぶきこ、旧字体:島田 宣來子)
太宰府天満宮の場合、島田宣来子は本殿とは別の楓社に祀られているが、儀徳天満宮は本殿に菅原道真と一緒に祀られる。
氏子区域
[編集]氏子区域は、儀徳町、西田町、前田町(儀徳団地)である。
西田町、前田町(儀徳団地)は、元々儀徳町であったが、人口増加により西田町、前田町(儀徳団地)と儀徳町から独立し、1つの町となった。
神仏習合
[編集]境内には、観世音安置堂(かんぜおんあんちどう)や石製の三重塔があり、神仏習合時代の建物が多く残る。
狂言
[編集]昭和期までは、境内の狂言堂で狂言が行われていた。神楽や能が奉納される神社は多いが、狂言を奉納する神社は全国的にも珍しい。現在、狂言は行われていないものの、狂言堂は残っている。
相撲
[編集]昔は狂言のほかに、町内の子供たちが奉納相撲を行っていた。
つと
[編集]祭礼の際に、赤飯やおにぎりを稲藁で包んだものを「つと」といい、それをお供えする風習がある。「つと」は3つ作られ、1つは神社(神前)に供え、残り2つは各組(班)の組長(班長)と来年の組長(班長)に渡される。
儀徳天神さんの唄
[編集]儀徳町には「儀徳天神さんの唄」という儀徳天満宮のことを謳った民謡がある。この唄がいつ頃作られたか、作詞作曲は不詳である。歌詞は下記の通りである。
儂(わし)がナー儂(わし)が育ちは
儀徳天神さんの氏(うじ)の子よソレ
春はナー梅に鶯(うぐいす)
チョイと来て鳴きますホウホケキョ
サテ花見酒
儂(わし)がナー儂(わし)が育ちは
儀徳天神さんの氏(うじ)の子よソレ
夏はナー田植え田の草
菅笠(すげがさ)鉢巻(はちまき)頬被(ほおかむ)り
サテ祇園さん
儂(わし)がナー儂(わし)が育ちは
儀徳天神さんの氏(うじ)の子よソレ
秋はナー稲の刈取り
嬉しや積み込む米の山
サテ満作じゃ
儂(わし)がナー儂(わし)が育ちは
儀徳天神さんの氏(うじ)の子よソレ
冬はナー冬は雪降る
降る雪積れば年もゆく
サテ餅の音