偵察航空隊 (1961)
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偵察航空隊 Tactical Reconnaissance Group | |
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創設 | 1961年(昭和36年)12月1日 |
廃止 | 2020年(令和2年)3月26日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 航空自衛隊 |
所在地 | 航空自衛隊百里基地(茨城県小美玉市) |
編成地 | 松島基地 |
上級単位 | 航空総隊 |
偵察航空隊(ていさつこうくうたい、英称:Tactical Reconnaissance Group)は、2020年3月まで存在した日本の航空自衛隊航空総隊直轄の偵察専門の部隊。
特徴
[編集]- 陸上偵察任務のほか、洋上偵察任務も担っており、2018年時点で13機のRF-4戦術偵察機を運用していた。機体は日本の国土や周辺海面の色に合わせた迷彩3パターンで塗装され、搭載カメラは短距離、長距離、パノラマ写真、赤外線撮影に対応していた[1]。
- シャークティース塗装を施したRF-4戦術偵察機が航空ファンからの高い人気を誇っていた。
- 災害被災地(地震・洪水等の自然災害)の空撮も担い、福島第一原子力発電所事故や北海道胆振東部地震などで出動した[1]。要請による活火山の観測等も行っており、1991年の雲仙岳噴火等に際しては災害派遣により観測を行なっていた[2]。
使用航空機
[編集]- RF-4E:F-4Eの機体にRF-4Cの偵察機材を組み合わせた偵察機。偵察任務用に特化された純粋な偵察機で、各種カメラを搭載する代わりに武装系統が取り外されているため、空戦能力はない。
- RF-4EJ:F-4EJ戦闘機からの改造機で、機外ポッド式の偵察機材を装着する。機関砲や火器管制装置等の武装系統が残されているため、通常型F-4EJと同じ戦闘能力を持っていた。
- T-4:連絡や訓練支援として使用していた。
沿革
[編集]- 1961年(昭和36年)12月1日:松島基地で発足(第501飛行隊、使用機:RF-86F)。
- 1962年(昭和37年)8月24日:入間基地へ移動。
- 1974年(昭和49年)12月3日:RF-4Eが配備される(百里先遣隊を編成)。
- 1975年(昭和50年)9月30日:隊本部を百里基地へ移転。百里先遣隊を第501飛行隊に、RF-86部隊を入間分遣隊に改編。
- 1977年(昭和52年)3月25日:入間分遣隊を廃止。
- 1992年(平成 4年)6月22日:第501飛行隊にRF-4EJが配備される。
- 1993年(平成 5年)
- 4月1日:偵察情報処理隊設置。
- 8月2日:整備群設置。
- 2009年(平成21年)3月13日:整備群が解散し、第7航空団に合併・統合される。また、航空機も第7航空団所属となる。
- 2020年(令和 2年)3月26日:部隊廃止[3]。これに先立ち、3月9日に最後の飛行訓練を行い、3月23日に隊旗を返還した[4]。
- 今後は帰投後の現像が必要なフィルム式カメラでなく、撮影画像の電送や電波情報収集が可能な無人航空機「RQ-4 グローバルホーク」部隊や戦闘機部隊に役割を引き継ぐ予定である[1]。
- 2022年(令和 4年)12月15日:部隊廃止された同部隊名を引き継ぐ、新偵察航空隊(三沢基地)が編成される。
組織編成
[編集]歴代の偵察航空隊司令
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 | |
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偵察航空隊長 | |||||
1 | 生井清 | 1961年12月 | 1日 - 1964年 3月15日(2等空佐) | 航空総隊飛行隊長 | |
2 | 渥美二郎 | 1964年 | 3月16日 - 1964年11月30日第4航空団司令部防衛部長 (2等空佐) |
偵察航空隊司令 | |
偵察航空隊司令 | |||||
1 | 渥美二郎 | 1964年12月 ※1965年 7月 1日 1等空佐昇任 |
1日 - 1965年 7月15日偵察航空隊長 (2等空佐) |
第13飛行教育団飛行教育群司令 | |
2 | 中川謙淑 | 1965年 | 7月16日 - 1966年 2月15日第2航空団副司令 | 航空幕僚監部防衛部付 →1967年10月16日 外務省に出向 | |
3 | 桑原泰郎 | 1966年 | 2月16日 - 1968年 7月15日北部航空方面隊司令部防衛部長 | 航空幕僚監部防衛部調査第2課長 | |
4 | 吉崎巌 | 1968年 | 7月16日 - 1970年 2月15日第1航空団飛行群司令 | 航空自衛隊幹部候補生学校 第1教育部長 | |
5 | 川上次郎 | 1970年 | 2月16日 - 1971年 7月15日第8航空団副司令 | 第13飛行教育団司令 | |
7 | 岩永成夫 | 1971年 | 7月16日 - 1973年 7月15日第4航空団副司令 | 航空救難団司令 | |
8 | 永井勝 | 1973年 | 7月16日 - 1975年 6月30日第4航空団副司令 | 中部航空警戒管制団勤務 | |
9 | 関憲生 | 1975年 | 7月 1日 - 1977年 3月15日西部航空方面隊司令部防衛部長 | 航空総隊司令部付 →1977年6月7日 停年退官(空将補昇任) | |
10 | 稲川史朗 | 1977年 ※1979年 1月 1日 空将補昇任 |
3月16日 - 1979年 1月31日南西航空混成団司令部防衛部長 | 第3航空団司令 兼 三沢基地司令 | |
11 | 原正夫 | 1979年 | 2月 1日 - 1980年10月10日偵察航空隊副司令 | 第11飛行教育団司令 兼 静浜基地司令 | |
12 | 佐藤久弥 | 1980年10月11日 - 1982年10月15日 | 航空実験団飛行実験群司令 | 航空自衛隊幹部学校勤務 | |
13 | 伊藤巖 | 1982年10月16日 - 1983年 | 6月30日第5航空団副司令 | 航空幕僚監部人事教育部副部長 (空将補昇任) | |
14 | 安藤堅一 | 1983年 | 7月 1日 - 1985年 6月30日航空幕僚監部防衛部勤務 | 第12飛行教育団司令 兼 防府北基地司令 | |
15 | 山本征衛 | 1985年 | 7月 1日 - 1987年 3月15日航空幕僚監部防衛部調査第2課長 | 航空資料作業隊司令 | |
16 | 稲吉實 | 1987年 | 3月16日 - 1988年 7月 6日保安管制気象団飛行点検隊長 | 西部航空方面隊司令部監察官 | |
17 | 難波皎 | 1988年 | 7月 7日 - 1989年 6月29日航空総隊司令部防衛部演習計画班長 兼 航空幕僚監部防衛部勤務 |
航空警務隊勤務 | |
18 | 大橋武郎 | 1989年 | 6月30日 - 1990年 7月 8日中部航空方面隊司令部防衛部長 | 航空総隊司令部防衛部長 | |
19 | 白川司 | 1990年 | 7月 9日 - 1992年 3月31日南西航空混成団司令部防衛部長 | 第4航空団副司令 | |
20 | 笠井健介 | 1992年 | 4月 1日 - 1993年11月30日航空総隊司令部防衛部運用課長 | 第13飛行教育団司令 | |
21 | 市来徹夫 | 1993年12月 | 1日 - 1995年 3月22日中部航空方面隊司令部防衛部長 | 第13飛行教育団司令 | |
22 | 山本哲也 | 1995年 | 3月23日 - 1996年 7月31日中部航空方面隊司令部防衛部長 | 特別航空輸送隊司令 | |
23 | 橋爪俊輔 | 1996年 | 8月 1日 - 1998年 7月31日航空総隊司令部防衛部運用課長 | 第2輸送航空隊司令 | |
24 | 富永恭弘 | 1998年 | 8月 1日 - 1999年11月30日警戒航空隊副司令 | 退職 | |
25 | 平岩善政 | 1999年12月 | 1日 - 2000年12月 8日航空総隊司令部監察官 | 退職(空将補昇任) | |
26 | 源外志明 | 2000年12月 | 8日 - 2002年 7月31日第83航空隊副司令 | 北部航空方面隊司令部幕僚長 | |
27 | 庄田幸作 | 2002年 | 8月 1日 - 2003年11月30日南西航空混成団司令部防衛部長 | 南西航空混成団司令部幕僚長 | |
28 | 西村仁 | 2003年12月 | 1日 - 2005年 7月31日航空自衛隊第5術科学校副校長 | 退職(空将補昇任) | |
29 | 佐藤敏博 | 2006年 | 8月 1日 - 2006年 8月 6日第8航空団飛行群司令 | 第2航空団副司令 | |
30 | 高木雅弘 | 2006年 | 8月 7日 - 2009年 3月31日第6航空団副司令 | 西部航空方面隊司令部監理監察官 | |
31 | 堀川英寛 | 2009年 | 4月 1日 - 2010年11月30日第6航空団副司令 | 航空開発実験集団司令部監理監察官 | |
32 | 井出方明 | 2010年12月 | 1日 - 2012年 7月31日硫黄島基地隊司令 兼 硫黄島分屯基地司令 |
航空警務隊司令 | |
33 | 飯島正信 | 2012年 | 8月 1日 - 2014年 3月31日第7航空団副司令 | 偵察航空隊付 →2014年7月29日 退職 | |
34 | 横山寛 | 2014年 | 4月 1日 - 2016年 5月31日第83航空隊副司令 | 退職 | |
35 | 軍司雅人 | 2016年 | 6月 1日 - 2018年 9月 7日統合幕僚監部運用部運用第2課 災害対策調整官 |
南西航空方面隊司令部幕僚長 | |
末 | 朝倉譲 | 2018年 | 9月 8日 - 2020年 3月25日航空幕僚監部監理官 | 航空教育集団司令部勤務 |
脚注
[編集]- ^ a b c “冷戦期から活躍 空自偵察隊/さらば「音速の忍者」無人化の波 来年度廃止”. 読売新聞夕刊(社会面). (2018年12月28日)
- ^ 「自衛隊の多彩な部隊」2000年『防衛白書』
- ^ 百里基地HP 基地司令からのご挨拶
- ^ 偵察航空隊隊旗返還式(令和2年3月23日)