偉関晴光
偉関晴光 |
獲得メダル |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
偉関 晴光(いせき せいこう、1962年7月2日 - )は、中華人民共和国・広西省出身の日本の元卓球選手、卓球指導者。中国広西スポーツ専門学校卒業。株式会社偉関所属。中国名「韋 晴光(ウェイ・チングァン)」。妻は同じく中国出身の元卓球選手で、平成10年度全日本選手権混合ダブルスチャンピオンの偉関絹子(中国名「石 小絹)。木下マイスター東京のコーチ及び台湾男子ナショナルチーム監督を務める[3]。
経歴
中国選手時代には、1987年世界選手権ニューデリー大会ダブルス優勝、1988年ソウルオリンピックダブルス金メダル (両者とも、パートナーは陳龍燦) など、輝かしい成績を残した。
1991年に一度現役を引退したが、後に日本で現役復帰。熊本の実業団チーム壽屋→ラララでプレーして日本リーグで活躍した。
1997年には日本国籍を取得。全日本選手権男子シングルス初出場初優勝の快挙を達成。翌1998年も優勝したほか、計4回にわたって同タイトルを制した。以降、国内で数多くのタイトルを獲得。シドニー五輪などの、国際試合の舞台でも活躍を見せた。
2007年の秋田わか杉国体へ、地元開催の秋田県チームとしての出場を最後に、引退した。 2009年より、東京都北区にて卓球場『偉関卓球ランド』を運営している。またJOCエリートアカデミーでコーチを務める[4]。
2021年度、JOCエリートアカデミー男子監督を務める[5]。
プレースタイル
フットワークを大きく使わずに、バックブロックなどで相手を揺さぶり、相手の体勢が崩れたところをドライブで狙い打った。ドライブの威力は大きく衰えず、特にカット主戦型との対戦を得意とし、松下浩二や渋谷浩との対戦に分があった。また、プレーでミスをすると、中国語で哎呀(アイヤー)と言うときがある。
主な戦績
中国時代
- 1987年
- 1988年
- 1989年
- 世界卓球選手権(ドルトムント大会)男子ダブルス 3位(陳龍燦ペア)
- 1990年
日本時代
- 1997年
- 平成9年度全日本卓球選手権大会 男子シングルス 優勝
- 1998年
- 第14回アジア卓球選手権(大阪大会)男子シングルス 準優勝
- 平成10年度全日本卓球選手権大会 男子シングルス 優勝
- 第3回ジャパントップ12卓球大会 男子シングルス 優勝
- 2000年
- 世界卓球選手権(クアラルンプール大会)男子団体 3位
- 第15回アジア卓球選手権(ドーハ大会)男子ダブルス 3位(木方慎之介ペア)
- 平成12年度全日本卓球選手権大会 男子シングルス 優勝
- 第5回ジャパントップ12卓球大会 男子シングルス 優勝
- 2001年
- 第6回ジャパントップ12卓球大会 男子シングルス 優勝
- 2003年
- 第8回ジャパントップ12卓球大会 男子シングルス 優勝
- 2004年
- 平成15年度全日本卓球選手権大会 男子シングルス 優勝
- 第9回ジャパントップ12卓球大会 男子シングルス 優勝
脚注
出典
- ^ 日本国籍取得後
- ^ “ITTF - World Ranking”. ITTF. 2021年10月20日閲覧。
- ^ 卓球王国 チャイニーズタイペイの男子監督、「イーさん」こと偉関晴光さんが語った張本智和の成長
- ^ “3か国語操る才色兼備の卓球美少女”. 2020東京五輪 本紙イチ押しヒーロー&ヒロイン. 東京スポーツ (2013年11月3日). 2014年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月22日閲覧。
- ^ “2021年度強化スタッフ”. 公益財団法人 日本卓球協会. 2021年8月20日閲覧。