倉野光生
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愛知工業大学名電高等学校硬式野球部 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
生年月日 | 1958年11月7日(66歳) |
選手情報 | |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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倉野 光生(くらの みつお、1958年11月7日 - )は、愛知県名古屋市出身の日本の高校野球指導者。
経歴
[編集]名古屋電気高等学校(愛知工業大学名電高等学校の前身)時代は、主将(1976年度)を務めていた[1]。
愛知工業大学では捕手として明治神宮大会にも出場し卒業後、母校の愛工大名電高校のコーチに就任[2]。コーチ時代には工藤公康や山﨑武司、イチローの指導に当たった[2]。
1997年に、勇退した中村豪に代わって、同校のコーチから監督へ就任した[2]。
堂上直倫らを率いて、2004年の第76回選抜高等学校野球大会(春)で準優勝、翌2005年の第77回選抜高等学校野球大会(春)で優勝を果たしている。この時は野球部マネージャーを務めていた自身の娘もベンチ入りしていた。
2022年の第104回全国高等学校野球選手権大会(夏)では、コーチ時代に工藤公康らを率いてベスト4になった1981年以来41年ぶりに、夏の甲子園で一大会2勝目をあげた。倉野が名電の監督に就任以降、夏の甲子園で一大会2勝以上したのは初めてのこと(同大会最終的には3勝、ベスト8)[3]。
人物
[編集]- 趣味に登山や書道をあげている[2]。
- 倉野の妻は野球部監督に就任した頃から、野球部の寮母を務めている[4]。
- 2018年の第100回全国高等学校野球選手権記念大会で勝利をあげるまで、愛工大名電高校は夏の甲子園8連続初戦敗退を喫していた。これは北海高校に並ぶ最多タイ記録。そして、8連続のうち7試合は倉野が監督を務めた試合であり、監督の夏の初戦7連敗は単独の最多記録である。なお、前述の通りこの間も春の甲子園では圧倒の成績を残していた[5]。
甲子園成績
[編集]著名な教え子(コーチ時代も含む)
[編集]- 工藤公康
- 山本幸二
- 中村稔
- 高橋雅裕
- 安達俊也
- 山﨑武司
- 松久保新吾
- 伊藤栄祐
- 深谷篤
- イチロー
- 三輪敬司
- 石堂克利
- 鈴木亮
- 堂上剛裕
- 堂上直倫
- 丸山貴史
- 柴田亮輔
- 十亀剣
- 石田淳也
- 谷口雄也
- 柴田章吾
- 濱田達郎
- 東克樹
- 田村俊介
脚注
[編集]- ^ “卒業年度一覧”. 愛知工業大学名電高等学校 野球部 公式WEBサイト. 2022年8月15日閲覧。
- ^ a b c d “【監督インタビュー】高校野球名監督に聞く! 中学球児が高校で活躍するためにすべきこと 第2回:愛工大名電高校・倉野光生監督”. タイムリー. (2014年9月3日) 2022年1月16日閲覧。
- ^ “意外?愛工大名電の『夏2勝』は工藤公康さんの1981年以来41年ぶり【高校野球】:中日スポーツ・東京中日スポーツ”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. 2022年8月15日閲覧。
- ^ “愛工大名電野球部、選手を支え育てる監督夫人の「母の味」 - アスリートめし:アスレシピ”. アスレシピ:アスリートのためのスポーツ栄養・食育サイト. 2022年8月15日閲覧。
- ^ 織田健途 (2018年8月12日). “愛工大名電30年ぶり○倉野監督20年やっと夏1勝”. 日刊スポーツ 2022年8月17日閲覧。