コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

倉敷福太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

倉敷 福太郎[1](くらしき ふくたろう、旧姓・渡部1878年明治11年)7月[2] - 1942年昭和17年)2月4日[3])は、日本教育家学習院名誉教授[2][4]。族籍は鳥取県平民[5]

経歴

[編集]

島根県人・渡部桑右衛門の四男[2][4][6]、渡部金三郎の弟[5][7]鳥取県西伯郡米子町(現・米子市)・倉敷岩太郎の養子となり[8]1925年家督を相続する[1][2][4]1904年東京帝国大学理科大学数学科を卒業[1][5][9]

宮城県立第一中学校教諭を経て後学習院教授に任じ、教務課長を命ぜられる[2][4]1938年に退官、同校名誉教授の名称を授けられる[2][4]

人物

[編集]

趣味は囲碁将棋[2][4][6]野球[7]。宗教は曹洞宗[2][4][6][7]。鳥取県在籍[2][4]、住所は東京市杉並区阿佐ヶ谷[2][4][6][7]東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町[5]

家族・親族

[編集]
倉敷家

栄典

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 妻の父親の名前は『人事興信録 第6版』によると、「群一郎[5]」、『帝国人事大鑑 昭和7年版』によると、「郡一郎[7]」である。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e 『帝国大学出身名鑑』ク29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第13版 上』ク50頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月16日閲覧。
  3. ^ 「倉敷福太郎氏」『朝日新聞』1942年2月6日、2面。
  4. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第12版 上』ク60頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月18日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 『人事興信録 第6版』く43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月16日閲覧。
  6. ^ a b c d 『人事興信録 第11版 上』ク68頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月18日閲覧。
  7. ^ a b c d e 『帝国人事大鑑 昭和7年版』ク19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月18日閲覧。
  8. ^ a b c d 『島根鳥取名士列伝 下』162 - 165頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月16日閲覧。
  9. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正5年 至大正6年』学士及卒業生姓名 理学士 数学科248頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月16日閲覧。
  10. ^ 『帝国実業名鑑 第12号(鳥取・島根県之部)』35頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月29日閲覧。
  11. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

[編集]
  • 深田豊市編『島根鳥取名士列伝 下』博進館、1903 - 1906年。
  • 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正5年 至大正6年』東京帝国大学、1913 - 1924年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
  • 『帝国人事大鑑 昭和7年版』帝国日日通信社、1932年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 『帝国実業名鑑 第12号(鳥取・島根県之部)』川口貞良、1983年。