コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

俳優座劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
俳優座劇場
Haiyuza Theatre

俳優座劇場
2019年2月16日撮影)
情報
正式名称 俳優座劇場
完成 1954年
開館 1954年4月20日
開館公演 劇団俳優座『女の平和』
収容人員 300人
客席数 1階:300
用途 新劇、舞踊、ダンス、お笑い、ミュージカル興行
旧用途 映画
運営 株式会社俳優座劇場
所在地 106-0032
東京都港区六本木4-9-2
アクセス 東京メトロ日比谷線都営地下鉄大江戸線六本木駅下車6番出口
外部リンク 俳優座劇場
テンプレートを表示

俳優座劇場(はいゆうざげきじょう、Haiyuza Theatre)は、東京都港区六本木四丁目にある民営劇場。2025年4月末で閉館予定[1]

概説

[編集]

劇団俳優座の創立10周年事業として1954年4月20日に開場。それまで新劇公演の中心的な劇場であった三越劇場の夜間興行中止を受けて、劇団俳優座千田是也小沢栄太郎東野英治郎東山千栄子ら同人たちが、東京大空襲で焼失した築地小劇場の精神を受け継ぐ、新劇のための劇場を自らの手で創りたいという理想を抱いて設立した。こけら落としは、劇団俳優座第26回公演、アリストパネス作の『女の平和』とマルシャーク作『森は生きている』であった。建設当初は4階建てで六本木の中でも高いビルだったため、屋上から東京湾を望むことができ、戸板康二から「海の見える劇場」と評された[1]


1980年に改築されて9階建てビルに300席の客席を併設する形になった[1]。しかし、施設の老朽化や、運営収支が厳しいとの経営判断から、[2]2025年4月末で閉館となる予定である[1]

「俳優座劇場」と呼称しているが、劇団俳優座専用の劇場ではない。劇場管理・運営を行っているのは、「株式会社俳優座劇場」(1953年設立)である。初代社長は舞台美術家の伊藤熹朔で、かつては取締役に東野英治郎などが就任していた。

また、1981年より当時の社長で演劇製作者の倉林誠一郎により自主企画公演『俳優座劇場プロデュース』を開始。第1回作品は加藤道夫作の「なよたけ」[3]。代表作はアガサ・クリスティー作『検察側の証人』、レジナルド・ローズ作『十二人の怒れる男たち』、J・B・プリーストリー原作・八木柊一郎脚本『夜の来訪者』、マーク・メドフ作『小さき神のつくりし子ら』、マキノノゾミ作『高き彼物』『東京原子核クラブ』。

設備

[編集]

客席は1フロアのみであり、総席数300席となっている。全席どこからでも、舞台上の演者の爪先まで見られる。ロビーの一部に英国風パブ「ハブ」(六本木店)が営業している。

客席階段にギリシア喜劇の人物像のレリーフがあり「汝は人間である。つねにそのことを自覚して忘れるな。」と刻まれている(土方久功作)。改築前の旧・俳優座劇場では、劇場正面入り口に掲げられていた。

アクセス

[編集]

舞台美術部

[編集]

舞台美術家であり初代社長でもある伊藤熹朔の発案により、劇場付属の舞台美術部(大道具製作)を開設し、現在に至っている。演劇・舞台・テレビ大道具セット(テレビドラマバラエティ番組ニュース番組など)の大道具全般の美術総合製作会社である。NHK日本テレビテレビ朝日などのセット全般・大道具操作を手掛けている。1953年昭和28年)5月12日に設立した。

平成29年10月16日事務部門及び営業部門の事務所を埼玉県越谷市(越谷レイクタウン)に移転、平成30年2月から製造部門も移転、4月に全部門移転完了した。

所在地

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 「俳優座劇場」閉館へ 戦後の新劇ブームをけん引 収支厳しく」『毎日新聞』2023年6月14日(2023年6月14日閲覧)
  2. ^ 俳優座劇場が閉館へ 昭和29年開場、新劇牽引”. 産経ニュース (2023年6月14日). 2023年6月14日閲覧。
  3. ^ エンタメ特化型情報メディアスパイス

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]