保田大吉
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保田 大吉(やすだ だいきち、旧姓・尼子、1873年(明治6年)4月[1] - 没年不明)は、日本の酒・醤油醸造家、醤油「龜甲保」、清酒「園の白菊」の醸造元[2]、実業家。谷口印刷、宮島ホテル各監査役[3][4]。族籍は広島県平民[1]。
人物
[編集]広島県広島市出身。尼子忠蔵の弟[1]、尼子英次郎の二男[5]。保田家に入籍した[6]。資性温厚で社交に長じ、頭脳明晰であり敏腕の聞こえがあった[6]。養父・八十吉の声望と事業を享けて日夜奮闘した[6]。衆望を担い、多数銀行会社の重役だったほか広島県酒造組合広島支部長、広島商業会議所常議員として令名があった[6]。住所は広島市京橋町[5][7]。
家族・親族
[編集]- 保田家
→詳細は「保田八十吉 § 家族・親族」を参照
- 養父・八十吉[2](1843年 - 1919年、広島銀行頭取)
- 妻・キチ(1882年 - ?、広島、保田二吉の姉)[8]
- 長男・七兵衛[9][10](1892年 - ?、前名・東介[1]、広島県多額納税者[7]、縄屋、酒、醤油醸造業[9][11]、広島商業会議所議員[10]) - 1921年に家督を相続する[8]。趣味は酒[11]。
- 長女・順(1906年 - ?)[1]
- 二女・朝(1909年 - ?)[1]
- 二男・仲蔵(1912年 - ?)[1]
- 三男・守吉(1914年 - ?)[1]
- 四男(1916年 - ?)[1]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第6版』や113頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月17日閲覧。
- ^ a b 『日本案内 正巻之中』1033-1034頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月17日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 第29回』下編535頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月17日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 第28回』下編570頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月21日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第4版』や100頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月17日閲覧。
- ^ a b c d 『広島県紳士名鑑』広島市之部125頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月17日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』附録 全国多額納税者 広島県63頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月17日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第11版 下』ヤ59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月18日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第40版』広島ヤの部26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月2日閲覧。
- ^ a b 『大日本長者名鑑』中国4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月1日閲覧。
- ^ a b 『広島県紳士録 昭和8年版』53頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 開国社編『日本案内 正巻之中』開国社、1919年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第28回』商業興信所、1920年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第29回』商業興信所、1921年。
- 『大日本長者名鑑』貞文舍、1927年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。