依藤宗子
表示
ミス・ワールドジャパン1957決定を伝える報道 | |
プロフィール | |
---|---|
出身地 | 兵庫県西宮市 |
瞳の色 | ブラウン[2] |
毛髪の色 | ブラック |
公称サイズ(1957時点) | |
身長 / 体重 | 165 cm / 53 kg |
BMI | 19.5 |
スリーサイズ | 89 - 55 - 92 cm |
活動 | |
ジャンル | ファッション |
備考 | ミス・ワールド・ジャパン1957 |
他の活動 | 女優 |
モデル: テンプレート - カテゴリ |
依藤 宗子(よりふじ むねこ)は、日本のファッションモデル、女優である。1957年(昭和32年)のミス・ワールド・ジャパン(ミス・ワールド日本代表)に選ばれ、世界大会で第5位に入賞した。前年に日本から初出場して第4位[3]となった戸倉緑子に続き、日本は2年連続の入賞となった。
来歴・人物
[編集]武庫川学院女子短期大学を卒業し、ファッションモデルとして活動した[4]。
1957年6月、21歳のとき、“ミスコンの日本代表を選ぶ大会”[5]に大阪府代表として出場。産経新聞関係者から勧められて応募したもので、応募の事実は最初のうちは周囲に隠していたが、ミス大阪候補になって写真が報道されて発覚[6]。
第2代のミス・ワールド日本代表に選ばれ[7]、同年10月にイギリスのロンドンで行われた第7回世界大会に出場。優勝したミス・フィンランドのマリタ・リンダールらに次いで第5位に入賞した[2]。
この年の大会には23か国が参加した。前年と同様、日本は中東を除くアジアで唯一の参加国であり、依藤も着物姿に加えて、水着審査では身長165センチメートル(cm)、体重53キログラム(kg)、スリーサイズ89-55-92 cmと前年の戸倉に劣らないスタイルを披露した[4]。
その後はファッションモデルから大映の女優に転じ[4]、『花の大障碍』などに出演した。
フィルモグラフィ
[編集]脚注
[編集]- ^ a b ミス・ワールド第七回(1958年度)『中部日本新聞』1959年6月8日夕刊3面
- ^ a b “Muneko Yorifuji”. pageantplanet.com. 2021年5月16日閲覧。
- ^ 2021年現在歴代ミス・ワールド・ジャパンの最高順位
- ^ a b c 「依藤宗子 思い出の記」『週刊サンケイ』第8巻第29号、扶桑社、1959年、46頁、doi:10.11501/1809539。
- ^ この年はミス・ユニバースとミス・ワールドの代表を一つの舞台で選んだ
- ^ 「人物双曲線 ミス・ユニバースとミス・ワールド」『週刊朝日』第62巻第26号、朝日新聞社、1957年6月23日、80頁。
- ^ ミス・ユニバース大谷さん ミス・ワールド依藤さん『朝日新聞』1957年6月10日7面
- ^ “旅情(1959)”. moviewalker.jp. 株式会社ムービーウォーカー. 2021年5月16日閲覧。
- ^ “花の大障碍”. moviewalker.jp. 株式会社ムービーウォーカー. 2021年5月16日閲覧。
- ^ “氾濫(1959)”. moviewalker.jp. 株式会社ムービーウォーカー. 2021年5月16日閲覧。