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何成濬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
何成濬
Who's Who in China 4th ed. (1931)
プロフィール
出生: 1882年6月20日光緒8年5月初5日)
死去: 1961年民国50年)5月7日
中華民国の旗 台湾台北市
出身地: 清の旗 湖北省徳安府随県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 何成濬
簡体字 何成浚
拼音 Hé Chéngjùn
ラテン字 Ho Ch'eng-chün
和名表記: か せいしゅん
発音転記: ホー チョンジュン
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何 成濬(か せいしゅん)は中華民国の軍人。中国同盟会以来の革命派人士で、国民革命軍でも要職を歴任した。雪竹雪舟

事跡

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革命派としての活動

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初めは学問の道を歩み、湖北武昌経心書院、両湖高等学堂で学ぶ。1907年光緒33年)、日本に留学し、東京振武学校を経て陸軍士官学校第5期歩兵科に入学した。この間に中国同盟会に加入している。1909年宣統元年)、卒業・帰国し、湖北督練公所や陸軍部軍制司で職に就いた。[1][2][3]

中華民国成立後の1912年民国元年)2月、南京の中華民国臨時政府で陸軍部副官長に任ぜられた。4月、北京へ遷都した後も、南京の留守政府で総務庁庁長をつとめる。翌年、第二革命(二次革命)に革命派として参戦したものの、敗北して日本に逃れた。以後も、護国戦争護法運動に参加する。1922年(民国11年)、福建省で東路討賊軍前敵総指揮に任ぜられ、翌年には福建各軍総指揮となった。1924年(民国13年)10月、湖北招討使兼建国軍北伐総司令部参謀長(同年冬、左翼総指揮)に任ぜられ、孫文(孫中山)による北伐に従事したが、これは失敗に終わり、いったん上海に引退している。[1][2][3]

国民革命軍での活動

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何成濬別影(『最新支那要人伝』1941年)

1925年(民国14年)9月、蔣介石により東征軍総部総参議に起用され、前線に復帰する。翌年7月には国民革命軍総司令部総参議に任ぜられ、北伐の指揮に参与する。同年10月、湖北省で湖北政務委員会の設立を担当した。1927年(民国16年)春、国民政府軍事委員会委員となり、翌1928年(民国17年)3月、軍事委員会委員長駐徐州行営主任に任ぜられる。なお同年5月の済南事件に際しては、中国側として交渉当事者の1人となった。10月、国民政府参軍処参軍長となり、北伐終盤には呉鉄城方本仁と共に国民政府代表として東北に赴き、張学良の易幟を促している。[1][2][4]

1929年(民国18年)春、討逆軍第9軍軍長となる。同年3月、中国国民党第3期中央執行委員に当選し(続く第4期から第6期でも中央執行委員に当選)、5月、湖北省政府主席となった。[5]12月、第5路軍総指揮も兼ねている。1932年(民国21年)3月、省政府主席を辞任し、6月、豫鄂皖三省剿匪総司令部左路軍司令官として紅軍討伐に従事した。翌年3月、軍事委員会委員長保定行営主任に転じている。日中戦争(抗日戦争)勃発に伴い、1937年(民国26年)10月に何成濬は湖北省政府主席へ復帰し、戦闘体制の整備に尽力する。翌年6月、省政府主席を離れ、軍事委員会軍法執行総監に転じた。[1][2][6]

1946年(民国35年)5月、軍人とては引退して湖北省に戻り、省参議会議長に選出された。1949年(民国38年)、香港に移り、1951年(民国40年)に台湾へ赴いた。以後、総統府国策顧問、総統府資政、国民党中央評議委員、国民党紀律監察委員会委員などを歴任している。1961年(民国50年)5月7日、台北市にて死去。享年80(満78歳)。[1][2]

著作

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  • 『八十回憶』

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  1. ^ a b c d e 徐主編(2007)、665頁。
  2. ^ a b c d e 劉国銘主編(2005)、1103頁。
  3. ^ a b 東亜問題調査会編(1941)、29頁。
  4. ^ 東亜問題調査会編(1941)、29頁によると、北平市長代理や東三省攻略軍総司令を務めたとしているが、徐主編(2007)、665頁と劉国銘主編(2005)、1103頁にはその旨の記述は見当たらない。
  5. ^ ただし1930年2月までは、実務を民政庁庁長方本仁に委ね、何自身は軍務を引き続きつとめている。
  6. ^ 東亜問題調査会編(1941)、30頁。

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 東亜問題調査会編『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。 
 中華民国の旗 中華民国国民政府
先代
張知本
湖北省政府主席
1929年5月 - 1932年3月
1930年2月まで方本仁代理)
次代
夏斗寅
先代
黄紹竑
湖北省政府主席
1937年10月 - 1938年6月
1937年11月まで代理)
次代
陳誠