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佐近正晴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐近 正晴(さこん まさはる、明治39年(1906年) - 昭和35年(1960年))は日本実業家。弓浜漁業の元社長。

経歴

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鳥取県西伯郡余子村大字福定(現在の境港市福定町)に佐近豊松の子として生まれる。

父豊松と共に地引網の振興をはかり、“豊十網”は弓浜地方屈指の網元となった。更に大型木造船による沿岸漁業に着手、多くの朝鮮人を雇って鯔漁や鯖漁に専念し、境港漁業の発展につとめた。

戦後は就労の場のない地域の青少年を集めて「佐近船団」を組織したり、漁業協同組合結成に尽力したりと境港漁業史に大きな足跡を残した。

資料

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旧家・長兵衛

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  • 宇多天皇ノ後胤 佐々木源三秀義五男、五郎左ェ門義清ノ裔(子孫)[1]尼子伊予守経久ノ流ニシテ又右ェ門秀久ト云シガ天文ノ後此ノ地ニ来リ隠居シテ田畑開墾セシ処其ノノ顕ルヲイミテ佐々木氏ノ子孫ト云ヘル意ニシテ佐近氏ト改ム其ノ子又五郎秀高又改メテ佐古ト号シ専ラ力ヲ農耕ニ励ミ爾来 村長相勤メ七代権右衛門迄相伝ワリ当主長兵衛ニ至テ十代ナリ近世マデ系譜古文書等多ク所蔵仕リ候、いつとなく紛失仕リ候 今有ル所ノ系図ハ秀久ヨリ後ノ事記シテ御座候

佐古文書品々取リ失ヒ候得共 右言伝ニ申候、就中、又五郎ノ男長兵衛、其ノ子長兵衛家続仕同又右ェ門 別家仕リ其流格別多シ同七兵ェ 八郎兵衛等別家仕候 今村中ニ佐古ト申スハ右ノ裔ニ御座候 右ノ通リ取調ベ書上仕リ候処相違無御座候

脚注

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  1. ^ 史実では、尼子氏佐々木五郎義清の子孫ではなく、その兄にあたる佐々木太郎定綱の子孫で京極氏の支流にあたる。

参考文献

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  • 『新日本人物大観』(鳥取県版) 人事調査通信社 1958年 サ…146頁
  • 企画編集-福定自治会 『福定町誌まがりまつ』 1990年 148頁