佐藤通代
表示
佐藤 通大(さとう みちしろ、1851年5月(嘉永4年4月[1][2])- 1914年(大正3年)11月22日[1])は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。旧姓・河野。
経歴
[編集]日向国諸県郡志布志郷帖村[3](鹿児島県[1]諸県郡志布志郷帖村、南諸県郡志布志郷帖村、志布志村、曽於郡志布志村、志布志町[2][3][4]を経て現志布志市志布志町帖)で河野家に生まれた[3]。
西南戦争に中隊長として従軍[1][2]。戦後に刑を受けた[3]。佐藤家に入籍し[3]、農業を営む[1]。内之倉村戸長、蓬原村戸長を務めた[1][2][4]。
1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(鹿児島県第6区)で当選し[3][5]、その後、第6回総選挙でも再選され[5]、最後は立憲政友会に所属し衆議院議員に連続2期在任した[1][2][3]。
その後、郷里の子弟の教育、産業振興に尽力した[3][6]。1914年11月、郷里で病のため死去した[4][6]。
国政選挙歴
[編集]- 第5回衆議院議員総選挙(鹿児島県第6区、1898年3月、同志倶楽部)当選[5]
- 第6回衆議院議員総選挙(鹿児島県第6区、1898年8月、無所属)当選[5]
- 第8回衆議院議員総選挙(鹿児島県郡部、1903年3月、無所属)落選[7]