佐藤淳一
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佐藤 淳一 Junichi Sato | |
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プロフィール | |
リングネーム | 佐藤 淳一 |
本名 | 佐藤 淳一 |
誕生日 | 1980年12月26日(43歳) |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
所属 | アイスリボン |
デビュー | 2000年3月16日 |
引退 | 2017年11月 |
佐藤 淳一(さとう じゅんいち、1980年12月26日 - )は、プロレスの元レフェリーである。神奈川県横浜市出身。アイスリボンに専属していた。
経歴
[編集]学生プロレス出身。当時は松永智充らとトリオを組んで活動していた[1]。
1999年、IWA・JAPANに入社し、翌年2000年3月16日、つくば市大会でレフェリーデビュー。2003年、退社[2]。その後フリーとして 主にDDT・ガッツワールドと男子インディー団体を中心に活動。
2007年から2010年までガッツワールド専属で活動[3]。退団後は引退を決めていたが、アイスリボンから声をかけられたことで、最後の団体と決めて専属へ[4]。
2017年11月をもってレフェリーを引退。アイスリボンにて引退興行が開催され、DVDが発売された。引退理由は一言でいうと「奥さん孝行」のため[5]。メインレフェリーは愛弟子である斉藤一二三へ引き継がれた。
人物
[編集]アイスリボンの関係者からは淳一さん、または淳ちゃん、などと呼ばれていて涙もろい性格から「泣き虫レフェリー」とも呼ばれている。Twitterを行っていないが自身の近況などは世羅りさにツイートしてもらいたい文面と画像をメールで送り世羅が「#淳一通信」というハッシュタグをつけてメールの内容を定期的にツイートしている。
男子インディー団体出身で、星野勘九郎(大日本プロレス)ら男子レスラーとも親交がある。
かつてはリッキー・フジのファンクラブ会長を務めていた。
脚注
[編集]- ^ 回復と復活!! - GENTARO日記「乙女の愛の夢」 2014年3月23日
- ^ “『IWA・JAPANプロレスを退職。』”. 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “『6月9日=ロックの日』”. 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “『アイスリボンラスト道場マッチ』”. 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”. 2024年11月4日閲覧。
- ^ http://iceribbon.com/event_detail.php?id=1859