佐藤快磨
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さとう たくま 佐藤 快磨 | |||||
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生年月日 | 1989年6月11日(35歳) | ||||
出生地 | 日本・秋田県秋田市 | ||||
職業 | 映画監督 | ||||
主な作品 | |||||
映画 『ガンバレとかうるせぇ』 『壊れ始めてる、ヘイヘイヘイ』 『歩けない僕らは』 『泣く子はいねぇが』 | |||||
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佐藤 快磨(さとう たくま、1989年6月11日[1] - )は、日本の映画監督。
来歴
[編集]秋田県立秋田南高等学校を卒業[3]。小学校から高校まではサッカーに取り組み、自身のコメントでは小中学校時代は秋田県選抜のメンバーでイギリスに交換留学したこともあったが、その留学で挫折して身が入らなくなり、高校時代も3年生時に全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会の県予選に敗退するとそのまま引退したという[4][5]。
高校卒業後は東京の大学に進学したものの、「やりたいこと」が見つからないまま進学して学生生活を送っていたため、就職活動を迎える4年生になったときに「情熱を注げるものを探そう」という理由で在学のまま1年制の映画学校に入校した[4]。別のインタビューでは好きだったナイキのテレビCMを作りたいと考えたが、広告代理店や制作会社に入ることができなかったため、映画学校を選んだと述べている[5]。
2012年にNCW(ニューシネマワークショップ)第9期クリエイターアドバンスコースを修了する[1]。
その後、是枝裕和主宰の映像制作者集団「分福」に加入[5]。2014年より映画の自主製作を開始する[2]。同年に監督した『ガンバレとかうるせぇ』は、ぴあフィルムフェスティバルの「映画ファン賞」「観客賞」やヨコハマ・フットボール映画祭で最優秀作品賞など複数の賞を受賞した[4][5]。この作品は高校時代にサッカーをしていた体験をベースに作られており、撮影も秋田でおこなわれている[4]。
2020年、初の商業監督作となる『泣く子はいねぇが』が製作・公開された[5]。
フィルモグラフィー
[編集]監督作品
[編集]- 舞い散る夜(2012年)
- ぶらざぁ(2013年)
- ガンバレとかうるせぇ(2014年)
- 壊れ始めてる、ヘイヘイヘイ (2015年)
- きっとゲリラ豪雨(2018年)
- ハッピーハッピーサタデー(2018年)
- 歩けない僕らは(2019年)
- 泣く子はいねぇが(2019年)
- 離婚後夜(2024年)
受賞
[編集]- 2014年 - ぴあフィルムフェスティバルPFFアワード2014 映画ファン賞・観客賞(『ガンバレとかうるせぇ』)
- 2015年 - ヨコハマ・フットボール映画祭2015 最優秀作品賞 (『ガンバレとかうるせぇ』)[6]
- 2019年 - SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2019 国内コンペティション短編部門 観客賞(『歩けない僕らは』)
- 2021年 - 第30回日本映画批評家大賞新人監督賞(『泣く子はいねぇが』)[7]
脚注
[編集]- ^ a b ガンバレとかうるせぇ - 福岡インディペンデント映画祭
- ^ a b “男鹿舞台の映画「泣く子はいねぇが」製作発表 新進の佐藤快磨監督がナマハゲをモチーフに”. 産経新聞. (2020年1月10日) 2021年1月27日閲覧。
- ^ “見る・遊ぶ 秋田で高校サッカー部が舞台の映画、南高出身監督が凱旋上映会”. 秋田経済新聞. (2015年5月25日) 2021年1月27日閲覧。
- ^ a b c d “ベースは監督自身の高校サッカー部経験。女子マネージャーの視点で描く『ガンバレとかうるせぇ』佐藤快磨監督インタビュー「PFFアワード2014」映画ファン賞、観客賞受賞”. みらいぶ. 河合塾. 2021年1月27日閲覧。
- ^ a b c d e “秋田との距離感。映画『泣く子はいねぇが』佐藤快磨監督インタビュー”. なんも大学 AKITAVISION (2020年11月11日). 2021年1月27日閲覧。
- ^ “『ヴァトレニ―クロアチアの炎に―』がグランプリに輝く!!観客賞は『審判 ~ピッチ上の、もうひとつのチーム』が獲得”. ヨコハマ・フットボール映画祭. 2020年10月7日閲覧。
- ^ “映画「泣く子は…」の佐藤監督が新人賞 日本映画批評家大賞”. ORICON NEWS (オリコン). (2021年3月10日) 2021年3月10日閲覧。