佐藤徳重
表示
佐藤 徳重(さとう とくしげ、1884年(明治17年)3月20日[1][2] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。群山府尹。平壌府尹。
経歴
[編集]佐藤健造の四男として[2]、大分県大分郡、のちの南庄内村(庄内村、庄内町を経て現由布市)に生まれる[1]。1903年(明治36年)陸軍士官候補生に合格し、歩兵第47連隊に入隊する[1]。陸軍二等計手に進んだのち、1909年(明治42年)1月、陸軍判任文官試験に合格し、1911年(明治44年)5月、朝鮮総督府道書記に就任する[1]。1919年(大正8年)4月、退官し東洋拓殖に入社[1]。1921年(大正10年)4月、再び任官し、同年10月に忠清北道税務課長に就任した[1]。
ついで平壌府内務課長、大邱府内務課長、統営郡守[2]を経て、1931年(昭和6年)4月30日、群山府尹に就任した[1]。その後、平壌府尹を経て1941年(昭和16年)5月に退官し朝鮮有煙炭常務となった[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国自治協会『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。