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佐藤佳成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤 佳成
名前
カタカナ サトウ ヨシナリ
ラテン文字 SATO Yoshinari
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1987-06-07) 1987年6月7日(37歳)
出身地 神奈川県川崎市
身長 180cm
体重 69kg
選手情報
ポジション FWMF
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

佐藤 佳成(さとう よしなり、1987年6月7日 - )は、神奈川県川崎市出身の元サッカー選手、現スポーツエージェント。現役時代のポジションはFWMF

来歴

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選手時代

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さぎぬまSC、川崎フロンターレU-15、U-18を経て(同期には木村祐志らがいる)、駒澤大学に進学した。大学卒業後、東北社会人サッカーリーグ1部のグルージャ盛岡に加入。2011年、左膝の前十字靭帯断裂の重傷を負い、リハビリに1年近くを要した[1]

2013年、モンテネグロリーグ2部のFKゾラ英語版に加入。この当時モンテネグロでプレーしていた日本人選手は他に石原卓福井理人加藤恒平伊藤剛山崎健太がいた[2]

2014年からはプレーの場をタイに移し、6月14日にリージョナルリーグ・ディビジョン2サムットサコーンFC英語版と契約。しかし、5日後の6月19日にペッチャブリーFC英語版期限付き移籍となり、シーズン終了までプレーした[3]

2015年1月、ホアヒン・シティFC英語版に移籍[4]。しかし、3月に足首を負傷して3ヶ月離脱してしまい契約解除となり、6月にプレー・ユナイテッドFCに完全移籍[5]

2016年1月、チュムポーンFCと契約[6]

2017年はタイ・リーグ4(4部)で前期はノンタブリーFC英語版[7]、後期はパトゥムターニー・ユニバーシティFC英語版でプレーした[8]

2018年シーズンは右膝の怪我もあって無所属のまま過ごし、11月5日に引退を表明[1]

引退後

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選手引退後も引き続きバンコクに在住しており、「GOAL Sports Agency」社のスタッフとしてタイカンボジアモンゴルなどアジア各国のクラブとのプロ契約を目指す日本人選手を支援してきた[9]。主なクライアントには嶺岸光山崎健太らがいる。2020年4月に同社を退社してアドバイザーに就任した。

また、バンコクで個人参加型のフットサルソサイチクラブ「グッドモーニングFC」を運営している[9]

2017年から海外サッカーウェブマガジン「EQUALIZER」を運営している[9]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2010 G盛岡 9 東北1部 13 10 - 2 0 15 10
2011 11 8 - 1 0 12 8
2012 27 0 0 - 0 0 0 0 
モンテネグロ リーグ戦 リーグ杯ツルノゴルスキ杯 期間通算
2013 FK ZORA SPUZ ドルガ・リーガ
タイ リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2014 サムットサコーンFC 24 Div2
通算 日本 東北1部 24 18 - 3 0 27 18
モンテネグロ ドルガ・リーガ
タイ Div2
総通算 24 18 3 0 27 18

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b 佐藤佳成 (2018年11月5日). “『引退』と言うのは烏滸がましいですが。”. 2020年2月15日閲覧。
  2. ^ 佐藤佳成 (2015年8月16日). “モンテネグロ経由、ステップアップ”. 2020年2月15日閲覧。
  3. ^ 【レンタル移籍】佐藤佳成選手/D2Phetburi FC”. ユーロプラス (2014年6月19日). 2020年2月15日閲覧。
  4. ^ ユーロプラスアジア・契約情報”. ユーロプラス (2015年1月21日). 2020年2月15日閲覧。
  5. ^ 佐藤佳成 (2015年6月13日). “今回の移籍の経緯”. 2020年2月15日閲覧。
  6. ^ FW佐藤佳成がタイD2チュンポンFCと契約”. ユーロプラス (2016年1月25日). 2020年2月15日閲覧。
  7. ^ 佐藤佳成 (2017年2月16日). “契約しました!”. 2020年2月15日閲覧。
  8. ^ 弊社契約の佐藤佳成がタイのPTU Pathumthani FC へ移籍”. ユーロプラス (2017年6月27日). 2020年2月15日閲覧。
  9. ^ a b c 佐藤佳成 (2019年1月4日). “僕が東南アジアとサッカーでしてること、したいこと”. 2020年2月15日閲覧。

外部リンク

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