佐藤亮太 (野球)
表示
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 長野県長野市 |
生年月日 | 1983年9月2日(41歳) |
身長 体重 |
186 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2005年 大学生・社会人ドラフト7巡目 |
初出場 | 2006年10月16日 |
最終出場 | 2008年7月23日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
派遣歴 | |
| |
この表について
|
佐藤 亮太(さとう りょうた、1983年9月2日 - )は、長野県長野市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は中日ドラゴンズの打撃投手を務めている。
チーム内に同姓の佐藤充がいたので、スコアボードや新聞の表記は「佐藤亮」とされていた。
来歴
[編集]プロ入り前
[編集]小学校4年で大豆島少年野球クラブで始め、更北中学校で投手[1]。長野日大高では3年夏ベスト8[1]。國學院大學へ進学。東都大学野球2部リーグで2年秋にはチームが優勝し、入替戦では先輩の梅津智弘、伊藤義弘の後に登板した。以降も2部で4年春に5勝[1]。1年下の嶋基宏とバッテリーを組んだ。
その後、2005年の大学生・社会人ドラフトで中日ドラゴンズから7巡目指名を受けて入団。即戦力左腕として期待された。
プロ入り後
[編集]ルーキーイヤーの2006年はチームのリーグ最終戦に登板したのみであった。2007年は4月にプロ初先発を果たすが、敗戦投手となりその1試合のみの登板に終わった。
2008年は最多の4試合に出場し2試合に先発。しかしプロ初勝利をすることはなく終わった。オフにはドミニカ・ウィンターリーグに派遣され、エストレージャス・デル・オリエンテに前田章宏と所属。4試合に登板した。
2009年は、春季キャンプは一軍スタートであったが、開幕は二軍で迎える。同年11月2日に戦力外通告を受け、中日の打撃投手へと転身することが決まった。2015年から打撃投手兼記録ビデオ担当。
プレースタイル
[編集]130km/h台後半~140km/h台前半の直球と、スライダー・カーブ・スクリューなどの多彩な変化球を投げ分ける軟投派。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | 中日 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 6 | 1.0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 3.00 |
2007 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 15 | 2.2 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0.00 | 2.63 | |
2008 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 56 | 12.2 | 13 | 2 | 2 | 0 | 3 | 6 | 0 | 0 | 7 | 7 | 4.97 | 1.18 | |
通算:3年 | 6 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 77 | 16.1 | 22 | 2 | 3 | 0 | 3 | 12 | 0 | 0 | 12 | 7 | 3.86 | 1.53 |
記録
[編集]- 初登板:2006年10月16日、対広島東洋カープ22回戦(広島市民球場)、6回裏に2番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、6回裏に森笠繁から空振り三振
- 初先発:2007年4月7日、対横浜ベイスターズ2回戦(ナゴヤドーム)、2回2/3を5失点(自責点0)で敗戦投手
背番号
[編集]- 50 (2006年 - 2009年)
- 121 (2010年 - )
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 佐藤亮太 - NPB.jp 日本野球機構