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前田章宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前田 章宏
中日ドラゴンズ ブルペン捕手 #107
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市中川区
生年月日 (1983-06-19) 1983年6月19日(41歳)
身長
体重
184 cm
91 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 2001年 ドラフト1巡目
初出場 2003年10月9日
最終出場 2013年9月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
派遣歴
コーチ歴
  • 中日ドラゴンズ (2014)

前田 章宏(まえだ あきひろ、1983年6月19日 - )は、愛知県名古屋市中川区出身の元プロ野球選手捕手)、野球指導者、ブルペン捕手である。

経歴

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プロ入り前

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中京大学附属中京高等学校時代は、2年時に第82回全国高等学校野球選手権大会に出場している。高校通算本塁打31本の記録を持つなど強肩強打の捕手として評価された。

2001年のドラフトで、中日ドラゴンズ寺原隼人日南学園高校)を1位指名し、彼の交渉権を逃した場合の外れ1位候補として、前田や山井大介[注 1]河合楽器硬式野球部)らをリストアップしていた[注 2][1][3]。そしてドラフト会議当日(2001年11月19日)、中日は読売ジャイアンツ(巨人)・横浜ベイスターズ福岡ダイエーホークスとともに寺原を1位指名した[4]が、寺原は抽選によりダイエーが交渉権を獲得[5]。このため、中日は前田を外れ1位として指名した[6]。中日がドラフト1位で捕手を指名した事例は当時、中村武志1984年のドラフト1位)以来17年ぶりだった[6]。また、前田の実家はナゴヤ球場(中日ドラゴンズ二軍の本拠地および一軍の旧本拠地)からごく近い場所にあり[7]、地元の1位入団選手として期待された。

プロ入り当時、中日球団チーフスカウトの中田宗男は前田について、「素材では城島健司(ダイエー)に匹敵する」と高い評価を下していた[6]

プロ入り後

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打撃練習中の前田選手

2002年は一軍出場なし。

2003年10月9日の対ヤクルト戦でプロ初出場を果たす。

2004年からは毎年数試合一軍の試合に出場する。

2007年はプロ1年目以来の一軍出場なしに終わり、二軍でも新入団した田中大輔がマスクを被る機会が多く、出場機会が減ってしまう。

2008年6月26日(阪神鳴尾浜球場

2008年は、2年ぶりに一軍登録され、谷繁元信の故障もあり3試合に出場するも後半は二軍生活であった。オフに、ドミニカ・ウィンターリーグに野手として新井良太藤井淳志と共に派遣されて、「エストレージャス・デル・オリエンテ」に所属。通算成績は3打数1安打だったが、積極的な姿勢が評価され、試合でマスクを被ることもできた。前田自身も「何か掴んだ気がします。」とコメントしている。

2009年は8年目のシーズンを迎えたが、新たに小山桂司が加入し、正念場を迎えることとなった。9月18日の横浜戦で、スティーブン・ランドルフから三遊間を抜けるプロ初安打を放った。

2010年も開幕二軍スタートではあったが、中盤以降、調子を落とした小山に代わって一軍出場を果たす。8月14日には初のヒーローインタビューを受けた。また、終盤も9月19日に谷繁がケガした時には小山を登録抹消にしていたため、急遽一軍に呼ばれるなど、自己最多の9試合に出場し、第四の捕手として存在感を見せた。

2011年小田幸平の故障もあって初の開幕一軍入りを果たし、4月15日の横浜戦に途中出場した。6月12日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では岩瀬仁紀とバッテリーを組み、この試合で岩瀬は日本タイ記録となる通算286セーブ目を挙げた[8]。また岩瀬が日本新記録の287セーブ目を挙げた6月16日の福岡ソフトバンクホークス戦でも、捕手を務めた[9][10]。このシーズン、最終的に一軍では無安打だったものの、10月8日、ファーム日本選手権で2打点を挙げ、MVPを獲得した。

2013年松井雅人田中大輔らとの3番手捕手争いに敗れ、わずか6試合出場に終わった。10月2日に球団から戦力外通告を受け[11]、その後現役引退を表明した。

引退後

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ブルペン捕手としてチームに留まる予定であったが、ゼネラルマネージャーに落合博満が、監督に谷繁元信がそれぞれ就任すると、一転して2軍バッテリーコーチへの就任を打診され[8]10月22日、コーチに就任することが球団から発表された[12]

2015年からはブルペン捕手兼二軍用具補佐に転向し、2019年シーズン終了まで務めた。

2020年シーズンからは一軍担当のブルペン捕手に配置転換された。

選手としての特徴・人物

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遠投120m級の強肩が魅力の捕手[13]

野球に対する熱心な姿勢と温厚な性格で人望が厚く、多くの同僚から慕われている[14][8]

プロ入り後の一番の思い出として自身が慕う先輩の岩瀬仁紀をリードし、岩瀬の日本記録となる286セーブを演出した2011年6月12日の楽天戦を挙げている[14]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2003 中日 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2004 6 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2005 8 7 6 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .000 .143 .000 .143
2006 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2008 3 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2009 6 10 10 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .100 .100 .100 .200
2010 9 4 4 0 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 .500 .750
2011 11 9 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 5 0 .000 .111 .000 .111
2012 3 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2013 6 5 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .200 .200 .200 .400
通算:10年 54 45 43 0 3 1 0 0 4 1 0 0 0 0 2 0 0 15 0 .070 .111 .093 .204

年度別守備成績

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捕手
守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
2003 1.000 1 2 0 0 0 1 1 0 .000
2004 1.000 5 8 0 0 0 0 0 0 0 -
2005 1.000 8 16 3 0 0 0 1 1 0 .000
2006 1.000 1 2 1 0 0 0 0 0 0 -
2008 1.000 3 3 0 0 0 0 0 0 0 -
2009 1.000 5 20 1 0 1 1 2 1 1 .500
2010 1.000 6 5 0 0 0 0 1 1 0 .000
2011 1.000 11 21 1 0 0 0 3 2 1 .333
2012 1.000 3 23 0 0 0 0 4 4 0 .000
2013 1.000 2 6 1 0 0 0 2 1 1 .500
通算 1.000 43 100 7 0 1 14 11 3 .214

記録

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背番号

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  • 55 (2002年 - 2006年)
  • 00 (2007年 - 2010年)
  • 38 (2011年 - 2013年)
  • 79 (2014年)
  • 107 (2015年 - )

脚注

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注釈

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  1. ^ 山井は中日以外に大阪近鉄バファローズも指名を検討していた[1]
  2. ^ また、中村剛也大阪桐蔭高校)も上位指名候補に挙げていた[2]が、最終的には西武ライオンズが2巡目で指名した。

出典

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  1. ^ a b 増田護「前田章(中京大中京)外れ1位浮上 中日ドラフト指名最終会議」『中日スポーツ中日新聞社、2001年11月19日。オリジナルの2001年11月21日時点におけるアーカイブ。
  2. ^ 中日 外れ1巡目に大阪桐蔭・中村」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2001年11月19日。オリジナルの2001年11月24日時点におけるアーカイブ。
  3. ^ 増田護「前田章(中京大中京)外れ1位浮上 中日ドラフト指名最終会議」『中日スポーツ』中日新聞社、2001年11月19日。オリジナルの2002年1月31日時点におけるアーカイブ。
  4. ^ きょうドラフト会議 寺原クジ竜当てろ!!中日、巨人、横浜、ダイエー4球団が競合」『中日スポーツ中日新聞社、2001年11月19日。オリジナルの2002年10月5日時点におけるアーカイブ。
  5. ^ 増田護「山田監督に悪夢再び…「またしても王さんにやられた」」『中日スポーツ』中日新聞社、2001年11月20日。オリジナルの2001年11月22日時点におけるアーカイブ。
  6. ^ a b c 渋谷真「竜17年ぶり捕手トップ指名 中京大中京高 前田章宏捕手」『中日スポーツ』中日新聞社、2001年11月20日。オリジナルの2002年1月31日時点におけるアーカイブ。
  7. ^ 前田クンご近所で待ってるゾ 三木フィジカルコーチがナゴヤ球場使用のススメ」『中日スポーツ』中日新聞社、2001年11月21日。オリジナルの2002年1月31日時点におけるアーカイブ。
  8. ^ a b c 惜別球人2013 30歳引退の中日・前田 人望買われ異例の2軍コーチ就任」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2013年12月14日。オリジナルの2016年8月7日時点におけるアーカイブ。2021年2月26日閲覧。
  9. ^ 岩瀬287セーブ プロ野球新記録樹立」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2011年6月17日。オリジナルの2015年9月24日時点におけるアーカイブ。2021年2月26日閲覧。
  10. ^ 試合結果」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2011年6月17日。オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。2021年2月26日閲覧。
  11. ^ 来季の契約について”. 中日ドラゴンズ 公式サイト. 中日ドラゴンズ (2013年10月2日). 2018年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月26日閲覧。
  12. ^ ★来季のスタッフについて”. 中日ドラゴンズ 公式サイト. 中日ドラゴンズ (2013年10月22日). 2021年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月26日閲覧。
  13. ^ ドラゴンズのドラフト指名選手(2000年代)”. www2.odn.ne.jp. 2021年9月9日閲覧。
  14. ^ a b 中日01年ドラ1前田引退スタッフ採用打診 - プロ野球ニュース”. nikkansports.com. 2021年9月9日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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