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佐竹義秀 (東家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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佐竹義秀
時代 江戸時代前期
生誕 正保3年(1646年
死没 享保6年8月4日1721年9月24日[1]
改名 栄長→義秀
別名 源六郎、将監、主殿、中務
戒名 惇完院殿慶翁良公
幕府 江戸幕府
主君 佐竹義格
久保田藩
氏族 佐竹氏
父母 父:佐竹義隣、母:佐竹義直の娘
養父:佐竹義寛
兄弟 義明多賀谷隆経室、戸村義般室、義秀
正室:佐竹義著の娘
側室:吉川義正の娘
佐竹義命正室、義本、佐竹義命継室、石塚義敬處宗義方
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佐竹 義秀(さたけ よしひで)は、佐竹氏一門の佐竹東家第9代当主。

経歴

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角館佐竹北家初代佐竹義隣の次男として生まれる。父の実弟の東家佐竹義寛の養子となり家督相続し、藩主佐竹義格に重臣として仕えた。正徳4年(1714年)隠居して家督を嫡男義本に譲る。孫の義道は、佐竹壱岐守家を相続し秋田新田藩主となる。義道の長男義明は、本家久保田藩主を相続、次男義敏は新田藩を相続、四男は蜂須賀家の養子となり蜂須賀重喜と名乗って徳島藩主となる。

脚注

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  1. ^ 『新編佐竹氏系図』(加賀谷書店、1973年)p.149