佐敷テレビ中継局
佐敷テレビ中継局(さしきてれびちゅうけいきょく)は沖縄県南城市知念字久原の須久名山(守礼カントリークラブ内)にあるテレビの中継局である。また同じ南城市知念(旧島尻郡知念村)内にあり、当中継局から南にある志喜屋(しきや)テレビ中継局(知念字山里)及び南城市内に設置されている難視聴対策中継局の「南城市知念屋外運動場SHV」・「南城市知念社会福祉センターSHV」・「コーポ百名SHV」についても併せて記述する。
概要
[編集]もともとは1970年代末に中頭郡西原町字翁長(おなが)に設置された翁長テレビ中継局である。同町の沿岸部と内陸部の高低差が大きく、沿岸部での受信改善を図るために設置された。
しかし西原町だけでなく、中城村や北中城村、また南城市北部(旧佐敷町や知念村北部)と中城湾一帯の市町村は沿岸部と内陸部の高低差が大きく、豊見城市の親局の送信所からの受信がよくなかった。中城湾が見渡せるほどの高台にある内陸部の一部では50km以上北の沖縄本島北部の今帰仁村にある今帰仁テレビ・FM中継局から受信しているところもあった。そのため与那原町も含めた中城湾沿岸地域の受信改善が必要となった。
そして1995年12月に当時の知念村(現在の南城市知念)北部の久原の守礼カントリークラブ内にある須久名山に現在の佐敷テレビ中継局が設置された。所在地は旧知念村だが、旧佐敷町寄りに接しているため「佐敷」の名称になった。これにより、中城湾沿岸部の町村(北中城村南東部以南)と知念半島北部の受信が改善されたとともに、翁長テレビ中継局は2ヶ月後の1996年2月に廃止された。
設置当時はNHKと琉球放送(RBC)と沖縄テレビ放送(OTV)のみで、開局したばかりの琉球朝日放送(QAB)は間に合わず、翌年1996年8月にようやく設置された(開局以降、新たに中継局が追加されたのは当中継局が初めて。また当中継局開局のTVCMがQABだけでなく、親会社のRBCテレビでも放送された)。
2007年12月1日に地上デジタルテレビ放送が開始された。
佐敷テレビ中継局
[編集]デジタルテレビ放送
[編集]ID | 放送局名 | チャンネル 番号 |
空中線 電力 |
ERP | 偏波面 | 放送対象地域 | 放送区域 内世帯数 |
運用開始日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | NHK 沖縄総合 |
36 | 3W | 10W | 水平偏波 | 沖縄県 | 22,367世帯 | 2007年 12月1日 |
2 | NHK 沖縄教育 |
25 | 全国 | |||||
3 | RBC 琉球放送 |
30 | 沖縄県 | |||||
5 | QAB 琉球朝日放送 |
33 | ||||||
8 | OTV 沖縄テレビ放送 |
31 |
- 所在地: 南城市知念字久原(須久名山、守礼カントリークラブ内)
- 放送区域: 与那原町の全域及び南城市、北中城村、中城村、西原町、南風原町の一部の地域[1]
- 2007年10月31日に予備免許が交付され[2]、11月に試験放送を開始、11月30日に本免許が交付され[1]、12月1日から本放送を開始した。
アナログテレビ放送
[編集]チャンネル 番号 |
放送局名 | 空中線 電力 |
ERP | 偏波面 | 放送対象地域 | 放送区域 内世帯数 |
運用開始日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
54 | QAB 琉球朝日放送 |
映像30W/ 音声7.5W |
映像110W/ 音声28W |
水平偏波 | 沖縄県 | 約20,500世帯 | 1996年 8月23日[3] |
56 | OTV 沖縄テレビ放送 |
1995年 12月25日[4] | |||||
58 | RBC 琉球放送 | ||||||
60 | NHK 沖縄総合 |
1995年 11月11日[5] | |||||
62 | NHK 沖縄教育 |
全国 |
- 所在地: デジタルテレビ放送に同じ
- 2011年7月24日をもってすべて廃止された。
- すべてのチャンネルが各チャンネルの中心周波数より10kHz(0.01MHz)低い周波数を使用(下記のテレビ中継局と重複しないため)。
翁長テレビ中継局
[編集]アナログテレビ放送
[編集]チャンネル 番号 |
放送局名 | 空中線 電力 |
ERP | 偏波面 | 放送対象地域 | 放送区域 内世帯数 |
運用開始日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
55 | NHK 沖縄総合 |
映像100mW/ 音声25mW |
映像-W/ 音声-W |
- | 沖縄県 | - | 1980年 12月6日[6] |
57 | OTV 沖縄テレビ放送 |
1980年 12月5日[7] | |||||
59 | RBC 琉球放送 | ||||||
61 | NHK 沖縄教育 |
全国 | 1980年 12月6日[6] |
志喜屋テレビ中継局
[編集]デジタルテレビ放送
[編集]リモコン キーID |
放送局名 | チャンネル 番号 |
空中線 電力 |
ERP | 偏波面 | 放送対象地域! | 放送区域 内世帯数 |
運用開始日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | NHK 沖縄総合 |
20 | 10mW | 35mW | 水平偏波 | 沖縄県 | 405世帯 | 2010年 9月10日 |
2 | NHK 沖縄教育 |
19 | 全国 | |||||
3 | RBC 琉球放送 |
21 | 沖縄県 | |||||
5 | QAB 琉球朝日放送 |
23 | ||||||
8 | OTV 沖縄テレビ放送 |
22 |
- 所在地: 南城市知念字山里(半田原地区、沖縄刑務所南方の高台)
- 放送区域: 南城市の一部[8][9](旧知念村南部や旧玉城村東南部)
- 2010年7月29日に予備免許が交付され[10]、8月下旬から試験放送を実施、9月6日に本免許が交付され[8]、9月10日に本放送を開始した。
アナログテレビ放送
[編集]チャンネル 番号 |
放送局名 | 空中線 電力 |
ERP | 偏波面 | 放送対象地域 | 放送区域 内世帯数 |
運用開始日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
54 | QAB 琉球朝日放送 |
映像100mW/ 音声25mW |
映像470mW/ 音声115mW |
水平偏波 | 沖縄県 | 約300世帯 | 1997年 12月25日[3] |
56 | NHK 沖縄総合 |
1982年 3月13日 [11][12][13] | |||||
58 | OTV 沖縄テレビ放送 | ||||||
60 | RBC 琉球放送 |
映像450mW/ 音声115mW | |||||
62 | NHK 沖縄教育 |
映像470mW/ 音声115mW |
全国 |
受信障害対策中継局(ギャップフィラー)
[編集]デジタルテレビ放送
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
リモコン キーID |
放送局名 | チャンネル 番号 |
空中線 電力 |
ERP | 偏波面 | 放送対象地域 | 放送区域 内世帯数 |
運用開始日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
南城市知念屋外運動場SHV・南城市知念社会福祉センターSHV | ||||||||
1 | NHK 沖縄総合 |
36 | 未詳 | 未詳 | 垂直偏波[14] | 沖縄県 | 未詳 | 未詳 |
2 | NHK 沖縄教育 |
25 | 全国 | |||||
3 | RBC 琉球放送 |
30 | 沖縄県 | |||||
5 | QAB 琉球朝日放送 |
33 | ||||||
8 | OTV 沖縄テレビ放送 |
31 |
- 免許人: 南城市
- 所在地: 南城市知念屋外運動場SHV: 南城市知念字久手堅819-6、南城市知念社会福祉センターSHV: 南城市知念字久手堅453
- 放送区域: 南城市の一部
リモコン キーID |
放送局名 | チャンネル 番号 |
空中線 電力 |
ERP | 偏波面 | 放送対象地域 | 放送区域 内世帯数 |
運用開始日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
コーポ百名SHV | ||||||||
1 | NHK 沖縄総合 |
48 | 未詳 | 未詳 | 垂直偏波[14] | 沖縄県 | 未詳 | 未詳 |
2 | NHK 沖縄教育 |
44 | 全国 | |||||
3 | RBC 琉球放送 |
45 | 沖縄県 | |||||
5 | QAB 琉球朝日放送 |
47 | ||||||
8 | OTV 沖縄テレビ放送 |
46 |
- 免許人: 南城市
- 所在地: 南城市玉城字百名1147-2
- 放送区域: 南城市の一部
脚注・出典
[編集]- ^ a b 地上デジタルテレビジョン放送中継局に免許-今帰仁、佐敷及び久米島中継局(総務省沖縄総合通信事務所)
- ^ 地上デジタルテレビジョン放送局に予備免許-今帰仁、佐敷及び久米島の中継局(総務省沖縄総合通信事務所)
- ^ a b 琉球朝日放送10年史編纂委員会『琉球朝日放送10年史』琉球朝日放送、2008年、32頁。
- ^ 琉球放送株式会社50年史編纂委員会『琉球放送50年史』琉球放送、2005年、年表1995年頁。
- ^ NHK沖縄放送局史編集事務局『NHK沖縄放送局史 ~NHK・OHK70年のあゆみ~』NHK沖縄放送局、2012年、264頁。
- ^ a b 『NHK年鑑'81』(日本放送協会、1981年)
- ^ 『民間放送三十年史』(日本民間放送連盟、1981年)
- ^ a b 地上デジタルテレビジョン放送局に免許-志喜屋の中継局(総務省沖縄総合通信事務所)
- ^ 志喜屋中継局放送エリア(総務省沖縄総合通信事務所) (PDF)
- ^ 地上デジタルテレビジョン放送局に予備免許-辺野古、志喜屋の中継局(総務省沖縄総合通信事務所)
- ^ 沖縄テレビ放送総合企画室『沖縄テレビ30年史』沖縄テレビ放送、1989年、162頁。
- ^ 琉球放送株式会社50年史編纂委員会『琉球放送50年史』琉球放送、2005年、年表1982年頁。
- ^ 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'82』日本放送出版協会、1982年、399頁。
- ^ a b “地上デジタルテレビ簡易放送局 | 南城市役所”. 南城市役所. 2022年8月12日閲覧。