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佐伯康子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐伯 康子(さえき やすこ、1955年 - )は、日本国際政治学者慶應義塾大学SFC研究所 上席所員、日本政治法律学会 理事、清和大学法学部元教授。専門は国際政治学、アメリカ外交、オセアニア地域研究。

兵庫県西宮市生まれ。私立聖心女子学院中等科・高等科、1978年慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。1982年3月同大学院法学研究科修士課程修了、1987年同博士課程単位取得満期退学。名古屋明徳短期大学英語学科専任講師(1989-1992年)、同助教授(1993-95年)、清和大学法学部助教授(1995-98年)を経て、1998年より現職。

この間、1982年から85年までオーストラリア・ニューサウスウェールズ大学日本経済経営研究センター訪問研究員を務める。

日本テニス協会の公認プロテニスプレーヤーでもある。

著書

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学術論文

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  • 「オーストラリアの外交の変遷――『自立』への模策(上・下)」『外交時報』1242/1243号(1987年)
  • "Characteristice & Changes in Australian Diplomacy"『名古屋明徳短期大学紀要』1号(1990年)
  • 「海軍の南進と南洋興発(1920~1936)――南洋群島委任統治から『国策の基準』まで」『法学研究』65巻2号(1992年)
  • 「砂糖王 松江春次論」『名古屋明徳短期大学紀要』3号(1992年)
  • 北マリアナ諸島史」『名古屋明徳短期大学紀要』4号(1993年)
  • 「海軍の南進と南洋興発2(1936~1941)――『国策の基準』以降,太平洋戦争勃発まで」『名古屋明徳短期大学紀要』5号(1994年)
  • ケネディ政権下のミクロネシア政策」『清和法学研究』3巻2号(1997年)
  • ジョンソン政権下のミクロネシア政策」『清和法学研究』4巻2号(1997年)
  • ニクソン政権下のミクロネシア政策」『清和法学研究』5巻2号(1998年)
  • 「海軍の南進と南洋興発(1914~1930)」『法政論集』第36巻2号(2000年)
  • 「米国アジア太平洋政策における『戦略地区概念』とミクロネシア」『清和法学研究』7巻2号(2000年)
  • 「19世紀アメリカのアイルランド人――祖国から追放された人々」『清和法学研究』9巻2号(2002年)
  • 「戦後アメリカ外交と三人のアイリッシュ・アメリカン――ケナンフォレスタルそしてドノバン」『清和法学研究』10巻2号(2003年)
  • 「アメリカ社会の頂点にたったアイリッシュ――ケネディ一族」『清和法学研究』11巻1号(2004年)
  • 「ニクソン政権下のミクロネシア政策2――「北マリアナ諸島連邦制定のための規約」を中心に」『清和法学研究』12巻1号(2005年)
  • 「覇権国家スペインとミクロネシア――カルロス1世の時代を中心として」『清和法学研究』12号2巻(2005年)
  • 「覇権国家スペインとミクロネシア(2)」『清和法学研究』13巻1号(2006年)
  • レーガン政権下のミクロネシア政策(1) ― 自由連合協定政府間合意成立迄 ―」『清和法学研究』13巻2号(2006年)
  • 「レーガン政権下のミクロネシア政策(2) ― 自由連合体制の成立 ―」『清和法学研究』14巻1号(2007年)
  • 「アメリカ太平洋戦略の起源」『清和法学研究』15巻1号(2008年)
  • 「国際政治と女性 ガートルード・ベルコンドリーザ・ライス」『清和研究論集』14号(2008年)
  • 「アメリカのミクロネシア政策 1945〜1947——国際連合での動きを中心として——」『清和法学研究』第17巻1号(2010年)

共著

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