佐伯宮成
表示
時代 | 平安時代初期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・右兵衛権佐 |
主君 | 仁明天皇 |
氏族 | 佐伯宿禰 |
佐伯 宮成(さえき の みやなり)は、平安時代初期の貴族。姓は宿禰。官位は従五位下・右兵衛権佐。
経歴
[編集]承和元年(834年)左近衛将曹の官職にあった際、朝廷に対して白い烏を献上した[1]。
承和6年(839年)従五位下に叙爵し、右馬助に任ぜられる。承和9年(842年)に発生した承和の変では、右近衛少将・藤原富士麻呂と共に武術に優れた近衛を率いて、謀反が疑われた春宮坊帯刀・伴健岑と但馬権守・橘逸勢の私邸を包囲して身柄を拘束する[2]。次いで、左衛門権佐・藤原岳雄と共に近衛を率いて、大納言・藤原愛発、中納言・藤原吉野、参議・文室秋津を拘束して幽閉するなど[3]、変の鎮圧に武力面で中心的な役割を果たしている。変後間もなく右兵衛権佐に遷った。
官歴
[編集]『続日本後紀』による。