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佐伯 児屋麻呂(さえき の こやまろ)は、奈良時代の貴族。官位は従六位上・陸奥大掾、贈従五位下。
神亀元年(724年)反乱を起こした海道(太平洋沿岸地域)の蝦夷によって殺害された(陸奥海道の蝦夷の反乱)[1]。没後、従五位下の贈位を受け、絁10疋、布20端、田4町を贈与されている[2][3]。
- ^ 『続日本紀』神亀元年3月25日条
- ^ 『続日本紀』神亀元年4月3日条
- ^ 「喪葬令」5条「職事官条」では。従五位の賻物を、絁10疋、布40端、鉄2連としており、また「田令」6条「賜田条」では、別勅によって「賜田」を贈られるとも、同18条「王事条」では、王事によって、その人がそのまま死亡した場合には、その地は子に継承させるとも記されている