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佐久間長敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐久間 長敬(さくま おさひろ、天保10年5月25日1839年7月5日[1] - 大正12年(1923年1月4日)は、江戸幕府与力東京裁判所職員。通称、弥太吉・鍵三郎・健三郎。

経歴

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天保10年(1839年)、南町奉行所に与力として代々務める佐久間家の、健三郎長興の長男として江戸八丁堀に生まれる。弟に原胤昭がいる。

嘉永5年(1852年)9月5日、分家独立した父・長興に代わって祖父の彦太夫の家督を継ぐ。御番諸役無足見習を命ぜられ、吟味方与力を務めた後、町奉行支配調役兼与力に就任、150俵20人扶持となる[2]

一時期、神奈川奉行所に赴任する。

町奉行所が廃止された明治維新後は、新政府が設置した市政裁判所に勤務する。明治5年(1872年)に司法権少判事、足柄裁判所長を歴任し、東京裁判所に奉職。明治6年(1873年)12月28日、病気を理由に辞職(実際には征韓論不採用に対する抗議だったとされる)。その後、代言人や銀行顧問、石油鉱山業など様々な事業に携わった[3]

大正12年(1923年)没。享年85[4]東京都台東区寿町の永見寺に葬られる。

著作

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  • 『刑罪詳説』 - 江戸時代の刑の執行方法が詳述されている他、刑場・処刑図などを掲載。
  • 『拷問実記』 - 江戸町奉行所で行われた拷問の種類・方法を記載。天保年間に捕まった窃盗犯・木鼠吉五郎の拷問の様子も記されている。
  • 『江戸町奉行事跡問答』
  • 『嘉永日記抄』
  • 『吟味の口伝』

脚注

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  1. ^ 『徳川幕臣人名辞典』(東京堂出版、2010年) 307頁。『国書人名辞典』 第二巻 340頁、および『幕末維新人名事典』 443頁では、天保9年(1838年)生。
  2. ^ 慶応4年(明治元年・1868年)時点。
  3. ^ 『徳川幕臣人名辞典』(東京堂出版、2010年) 308頁。
  4. ^ 『国書人名辞典』 第二巻 340頁では、享年86。

参考文献

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