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佐久間信貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐久間 信貞(さくま のぶさだ)は、江戸時代前期の旗本

 
佐久間信貞
時代 江戸時代前期
生誕 寛文12年(1672年
死没 寛保2年10月2日1742年10月29日
改名 信昌(初名)→信貞
別名 通称:権八郎
戒名 專翁
墓所 東京都港区麻布の善学寺
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家宣家継吉宗
氏族 佐久間氏
父母 父:佐久間信則、母:小倉蔵人
養父:佐久間(九平)盛重
兄弟 信編、男子、信貞
黒岩新右衛門(松平筑前守家臣)の娘
佐久間信厚
養子:信厚
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人物

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桜田の館において徳川家宣に仕え、小姓組を勤めた。宝永元年(1704年)、家宣の西の丸入りに従い、12月12日に西の丸焼火間番に列せられ、蔵米250俵を賜った。

宝永6年(1709年)10月29日、大番に転任。享保9年(1724年)11月15日にはさらに新番に転任。寛保元年(1741年)3月16日、老齢を理由に新番を辞し、小普請となった。このとき慰労として黄金2枚を賜った。

寛保2年(1742年)10月2日、死去。享年71。