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佐々木勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 佐々木 勝 
Masaru SASAKI
基本情報
名前 佐々木 勝
生年月日 (1939-02-07) 1939年2月7日(85歳)
国籍 日本の旗 日本
経歴
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佐々木 勝(ささき まさる、1939年2月7日 - )は、日本プロゴルファー

来歴

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1970年関東プロでは今井昌雪三浦勝利河野高明と共に石井冨士夫の2位タイ[1]に入り、1972年には東北地方初の男子プロトーナメント「七夕杯・東北クラシック[2]で初日を青木功・今井・松井功と並んでの6位タイ[3]でスタートした。

1973年関東オープンでは初日を菊地勝司の2位[4]でスタートし、2日目には尾崎将司草柳良夫田中文雄と並んでの2位タイ[5]に着けた。

1972年ブリヂストントーナメントでは2日目に69をマークして2位タイ[6]、3日目には郭吉雄(中華民国)と並んでの4位タイ[7]とし、最終日にはヒューバート・グリーン(アメリカ)と並んでの7位タイ[8]に入った。続くダンロップフェニックストーナメントの前身に当たる第1回「フェニックストーナメント」[9]では初日を島田幸作鈴村照男草壁政治と並んでの3位タイ[10]でスタートし、2日目には増田光彦・草柳・能田征二と並んでの6位タイ[11]に着けた。

1975年、初めて海外で開催された日本のトーナメント「クイリマ&タカヤマ・クラシック」[12]に出場し、初日を鈴村照・鷹巣南雄・今井と並んでの5位タイ、西田升平とペアを組んだダブルスでは吉川一雄&鈴木規夫ペア、今井&内田繁ペアと並んでの3位タイ[13]でスタート。2日目には朝から15m前後の強風が海側から吹き荒れ、時折、南国特有の豪雨も混じる最悪のコンディションの中、今井と並んでの4位タイ[14]、ダブルスでは2位[14]に着けた。3日目には鈴村照と共に通算5アンダーの2位タイ、ダブルスでも村上隆&河野高ペアと並んでの2位タイ[15]に着けた。

脚注

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  1. ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年)”. www.golfdendou.jp. 2024年7月1日閲覧。
  2. ^ NSCC 西仙台カントリークラブ クラブ沿革”. www.nishisendai.jp. 2024年11月12日閲覧。
  3. ^ 朝日新聞縮刷版p114 昭和47年8月4日朝刊16面「陳健忠がリード 東北クラシックゴルフ
  4. ^ 朝日新聞縮刷版p236 昭和48年9月7日朝刊18面「無名の菊地がトップ パットさえ、5アンダー 関東オープンゴルフ
  5. ^ 朝日新聞縮刷版p273 昭和48年9月8日朝刊19面「陳清波、首位奪う 尾崎ら4人2位に 関東オープンゴルフ
  6. ^ 朝日新聞縮刷版p115 昭和47年11月4日朝刊19面「アリン(米)が単独トップに ブリヂストン・ゴルフ
  7. ^ 朝日新聞縮刷版p151 昭和47年11月5日朝刊19面「郭、謝、アリントップに並ぶ ブリヂストン・ゴルフ
  8. ^ 朝日新聞縮刷版p183 昭和47年11月6日朝刊19面「謝敏、12アンダーで優勝 ブリヂストン・ゴルフ 最終日
  9. ^ 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年』毎日放送、1991年、258頁。 
  10. ^ 朝日新聞縮刷版p816 昭和47年11月24日朝刊16面「橘田、まずリード 尾崎は51位とさんざん フェニックスゴルフ第1日
  11. ^ 朝日新聞縮刷版p855 昭和47年11月25日朝刊19面「橘田と島田並ぶ 安田追込み 4位に浮上 フェニックスゴルフ第2日
  12. ^ 佐藤朗「着陸の日まで ―尾崎将司とその時代」幻冬舎2019年7月25日ISBN 4344923766、p138。
  13. ^ 毎日新聞縮刷版p601 昭和50年1月25日朝刊15面
  14. ^ a b 朝日新聞縮刷版p709 昭和50年1月26日朝刊15面「鷹巣がリード クイリマ・ゴルフ第2日
  15. ^ 毎日新聞縮刷版p648 昭和50年1月27日朝刊14面「村上、トップに立つ クイリマゴルフ第3日

外部リンク

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