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佐々憲三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ささ けんぞう / さっさ けんぞう
佐々 憲三
生誕 1900年5月4日
日本の旗 日本 愛知県丹羽郡千秋村
(現:愛知県一宮市千秋町)
死没 (1981-11-18) 1981年11月18日(81歳没)
墓地 相国寺総墓地[1]
国籍 日本の旗 日本
研究分野 地球物理学
土木地質学
地学/地すべり
地震学
火山学
防災工学
研究機関 京都大学大阪工業大学
出身校 京都帝国大学
博士論文
主な業績 佐々式大震計の開発[2]
地球潮汐ひずみの最初の観測[3]
地震の前兆的傾斜変化の観測[3]
主な受賞歴 勲二等旭日重光章1971年[4]
配偶者 すま
子供 陽子(長女)
宏一(長男:京都大学名誉教授)
恭二(二男:京都大学名誉教授)
補足
死後、従三位追贈
プロジェクト:人物伝
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佐々 憲三(ささ けんぞう / さっさ けんぞう[5]1900年5月4日[6] - 1981年11月18日[7])は、日本の土木地球物理学者。理学博士京都帝国大学)。京都大学名誉教授大阪工業大学第4代学長。日本の地すべり防災工学研究の第一人者の一人。

日本地すべり学会創設者・初代会長[8]文部省測地学審議会委員、日本学術会議会員、地震学会委員長(現・日本地震学会会長)、京都市防災会議地震対策委員会委員長、財団法人防災研究協会理事長などを歴任した[9]。京都大学関連では京都大学防災研究所元所長、京都大学阿武山地震観測所元所長、元桜島火山観測所施設長などを歴任している。

専門は、地球物理学土木地質学地学/地すべり学、地震学火山学防災工学

略歴

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愛知県丹羽郡千秋村(現・愛知県一宮市千秋町)出身[10]1900年明治33年)5月4日、佐々吾左衛門の五男として生まれる[11]。愛知県立第一中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)第43回卒業生[12]。旧制松本高等学校信州大学の前身の一つ)を経て[13]1925年大正14年)京都帝国大学理学部地球物理学科を卒業して学士を授与[14]。同学部講師を経て、1929年昭和4年)に同大学助教授1936年(昭和11年)に理学博士(京都帝国大学)の学位を受ける[15]1943年(昭和18年)時点で同大学理学部地球物理学科助教授、地球物理学第一講座担当[16][3]1945年(昭和20年)3月、同大学理学部教授に昇任し(指導した地球物理学研究室生には川本整がいる)、地球物理学第一講座から新設の第四講座へ移る[17]1955年(昭和32年)4月に京都大学理学部選出の評議員、1957年(昭和32年)4月から2年間、京都大学理学部長を務めた[18]

京都大学防災研究所所長、京都大学阿武山地震観測所2代目所長などを歴任し[2]1963年(昭和38年)5月に停年退官して京都大学名誉教授[9]

1963年(昭和38年)10月12日、大阪工業大学第4代学長、大阪工業大学短期大学部第4代部長に就任するが、1965年(昭和40年)2月15日に短期大学部部長を辞任、1969年(昭和44年)8月21日に学長を辞任した[19]1971年(昭和46年)、勲二等旭日重光章が授与されている[4]

京都大学理学部地球物理学科の初期教授として、第二次世界大戦後の京都大学の強振動研究(地震学・地すべり学)におけるパイオニアであり[20]佐々式大震計の開発(日本で初めて近地地震[注釈 1]の完全な波形を捉えることに成功)をはじめ、京都大学防災研究所所長(創設者の1人)、京都大学阿武山地震観測所所長、桜島火山観測所施設長を務めるなど、京都大学理学部地球物理学科の発展に多大に貢献した。大阪工業大学では学長を務め、川本整と共に初期の地すべり学(のちの地盤工学)、地震・防災工学の研究推進・育成に貢献した[22]

主な所属学会は、物理探査学会[23]日本地すべり学会日本地質学会地盤工学会など。主な著書は、『近畿地震 いつ来るか』(都新聞社、1947年)、『地震と災害』(甲文社、1948年)、『地震の話』(大化書房、1949年)、『大地震』(アテネ文庫、1951年)など[9]

1981年(昭和56年)11月18日午後零時30分、心不全のため京都市北区の富田病院で死去[24]。同年12月15日付『官報』で正五位から進階して正四位に(11月18日付)[25]、翌12月16日付『官報』で特旨を以て位一級追陞され(12月11日)、正四位から進階して従三位に叙されている(11月18日付)[26]

相国寺総墓地内の禁門変長州藩殉難者墓所の横に、佐々憲三(大憲院温故知新居士)のがある[1]。なお、義父志田順(清涼院洞天順正居士)の墓は、相国寺内の塔頭である大光明寺に所在する[1]

主な研究

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主な著作

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  • 『近畿地震 いつ来るか』都新聞社、1948年。 
  • 『地震と災害』甲文社、1948年5月15日。doi:10.11501/1378140国立国会図書館書誌ID:000001004870 
  • 『地震』花ノ木書房、1948年7月25日。doi:10.11501/11177161国立国会図書館書誌ID:000009145446 
  • 『地震の話』大化書房〈大化科学文庫〉、1949年3月20日。doi:10.11501/1622919国立国会図書館書誌ID:000000805457 
  • 『大地震』弘文堂〈アテネ文庫161〉、1951年6月。doi:10.11501/1369937国立国会図書館書誌ID:000000877775 

家族

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  • 妻:すま(地球科学者・志田順の長女)[11]
  • 長女:陽子
  • 長男:宏一(京都大学名誉教授)[30]
  • 二男:恭二(京都大学名誉教授)[31]

脚注

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注釈

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  1. ^ 日本の沿岸から600km以内の地震を指す[21]

出典

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  1. ^ a b c 山元龍三郎、竹本修三「1-1 志田順先生の足跡を追って(1. 帝国大学時代の京大地球物理学研究)」『京大地球物理学研究の百年(II)』、京大地球物理の歴史を記録する会、2010年10月25日、2頁。 
  2. ^ a b 歴代地震計”. 特定非営利活動法人 阿武山地震・防災サイエンスミュージアム. 2024年12月13日閲覧。
  3. ^ a b c 地球物理学教室第一講座”. 竹本修三ホームページ. 2024年12月13日閲覧。
  4. ^ a b 学会消息」『学苑』第506号、昭和女子大学近代文化研究所、1982年2月1日、doi:10.11501/3373519 
  5. ^ 佐々式大震計 京都大」『毎日新聞』2022年2月17日。オリジナルの2022年3月8日時点におけるアーカイブ。2024年12月15日閲覧。
  6. ^ 『東洋会社年鑑 1982年版』東洋経済日報社、1982年1月31日、1305頁。doi:10.11501/11917650ISBN 4-924614-14-9 
  7. ^ 『読売ニュース総覧 昭和56年版』読売新聞社、1982年8月15日、798頁。doi:10.11501/12234689 
  8. ^ 歴代会長・副会長”. 公益社団法人日本地すべり学会 (2020年6月19日). 2024年12月13日閲覧。
  9. ^ a b c 佐々憲三、三木晴男「対談―京大地震学史に関連して」『京大地球物理学研究の百年』、財団法人国際高等研究所・竹本修三フェロー研究会、2010年3月25日、148頁。 
  10. ^ 職業別 大衆人事録 全国篇』(第15版)帝国秘密探偵社、1952年7月8日、さ24頁。doi:10.11501/3044846https://dl.ndl.go.jp/pid/3044846/1/278 
  11. ^ a b 人事興信録 上巻』(第15版)人事興信所、1948年9月、サ之部2頁。doi:10.11501/2997934 
  12. ^ 大野一英『愛知一中物語』 下、中日新聞本社、1978年2月8日、128頁。doi:10.11501/12115938 
  13. ^ 『大阪工業大学学園五十年史』大阪工業大学、1972年10月30日、271頁。doi:10.11501/12111585 
  14. ^ 「彙報 學士試驗合格證書竝卒業證書授與」『官報』第3814号、1925年5月13日、326-327頁、doi:10.11501/2955962 
  15. ^ 『Geophysical studies on the valcano Aso』。国立国会図書館書誌ID:000000202408 
  16. ^ 竹本修三第二次世界大戦中の京大地球物理学教室の教官と学生の記念写真』京大知球会(地球物理学教室同窓会)、2018年2月https://www.kugi.kyoto-u.ac.jp/dousoukai/pdf/rekisi-syasin.pdf 
  17. ^ 一戸時雄「西村英一先生」『京都大学防災研究所三十年史』、京都大学防災研究所、1981年10月31日。 
  18. ^ 竹本修三西堀榮三郎と阿武山地震観測所」『京大地球物理学研究の百年』、財団法人国際高等研究所・竹本修三フェロー研究会、2010年3月25日、115頁。 
  19. ^ 学校法人常翔学園 100年史学校法人常翔学園、2022年10月30日、532頁https://www.josho.ac.jp/100th/news/pdf/100th.pdf 
  20. ^ 入倉孝次郎2-6 京都大学における強震動研究(2. 戦後の京大地球物理学研究)」『京大地球物理学研究の百年(II)』、京大地球物理の歴史を記録する会、2010年10月25日、41-44頁。 
  21. ^ 津波防災マニュアル』八重山地方防災連絡会、2013年3月11日、60頁https://www.data.jma.go.jp/ishigaki/bosai/tmanual/pdf/tsunami_manual_all.pdf 
  22. ^ 山口真一「大学関係地すべり研究者について」『地すべり』第2巻第1号、社団法人日本地すべり学会、1965年10月31日、37-40頁。 
  23. ^ 活動年譜”. 公益社団法人物理探査学会. 2024年12月13日閲覧。
  24. ^ 『出版年鑑 1982』出版ニュース社、1982年4月25日、125頁。doi:10.11501/12236947ISBN 4-7852-0003-0 
  25. ^ 「叙位・叙勲」『官報』本紙第16466号、1981年12月15日、14頁。 
  26. ^ 「叙位・叙勲」『官報』本紙第16467号、1981年12月16日、14頁。 
  27. ^ 西日本地方における地盤・地震動災害の総合的研究 第2章 分担課題1:地震災害の予測と防止に関する研究 2 地すべり発生の危険度予測」『大阪工業大学中研所報』第15巻第2号、大阪工業大学中央研究所、1982年、147-162頁。 
  28. ^ 高知県西川地すべり地における弾性波探査」『応用地質』第9巻第4号、社団法人 日本応用地質学会、1968年10月17日、175-190頁。 
  29. ^ 沿革”. 京都大学防災研究所附属火山防災研究センター 桜島火山観測所. 2024年12月13日閲覧。
  30. ^ 佐々宏一 - researchmap
  31. ^ 佐々恭二 - researchmap