住用村
すみようそん 住用村 | |||||
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廃止日 | 2006年3月20日 | ||||
廃止理由 |
新設 名瀬市、住用村、笠利町 → 奄美市 | ||||
現在の自治体 | 奄美市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 鹿児島県 | ||||
郡 | 大島郡 | ||||
市町村コード | 46526-7 | ||||
面積 |
118.16 km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
1,764人 (2006年1月1日) | ||||
隣接自治体 | 名瀬市・大和村・宇検村・瀬戸内町 | ||||
村の木 | アマミセイシカ | ||||
村の花 | ヒルギ | ||||
住用村役場 | |||||
所在地 |
〒894-1292 鹿児島県大島郡住用村大字西仲間111番地 | ||||
座標 | 北緯28度15分56秒 東経129度24分28秒 / 北緯28.26561度 東経129.40772度座標: 北緯28度15分56秒 東経129度24分28秒 / 北緯28.26561度 東経129.40772度 | ||||
ウィキプロジェクト |
住用村(すみようそん)は、鹿児島県の奄美大島にあった村である。大島郡に属した。
2006年3月20日、名瀬市および笠利町と合併し奄美市となり、奄美市の地域自治区でもある住用町となった[1]。
地理
[編集]住用村は奄美大島の南部に位置し、島南東部の住用湾に面した。面積の約85%が険しい山岳地となっている。
- 山:金川岳 (528m)、タカバチ山 (485m)、烏峰 (467m)、ヤッカチヨボシ岳 (441m)
- 河川:住用川
- 島嶼、岩:トビラ島(とぅぶら島)、トンバラ岩
人間歴
[編集]古代
[編集]- 縄文時代以降 - 城字池平の通称サモトに人が居住していたことをサモト遺跡の発掘(1982年)で確認。
中世
[編集]近現代
[編集]- 1875年 - 西仲間に郵便取扱所開設。
- 1887年 - 須垂方戸長役場と住用方戸長役場を統合し、西仲間に戸長役場開設。憲正興が戸長となる。
- 1908年4月1日 - 島嶼町村制施行により、住用間切全域を以て大島郡住用村が発足。12村から成り、各村に区長を置いた。
- 1920年4月1日 - 普通町村制の住用村となる。
- 1929年 - 名瀬と電話線が開通。
- 1945年7月-8月 - アメリカ軍の空襲により154戸が焼かれる被害が出た。
- 1946年2月28日 - アメリカ合衆国(琉球列島米国民政府)の統治下におかれる。
- 1953年12月25日 - 奄美大島の日本返還により再び日本国に属する。
- 1961年9月15日 - 第二室戸台風の襲来で村内全域が被災。
- 1964年8月20日 - 台風14号の襲来で住用川、役勝川が氾濫し、318戸が浸水。
- 1969年10月22日 - 戸玉に共栄木材のチップ工場が完成(1995年閉鎖)。
- 1989年1月 - 国道58号線三太郎トンネルが開通し、9月16日バイパスが開通。
- 2000年12月 - 国道58号線小和瀬トンネル開通。
- 2006年3月20日 - 名瀬市、笠利町と合併し奄美市となり、奄美市の地域自治区「住用町」となった(設置期間は2016年3月31日まで[1])。
住用間切
[編集]市村、山間村、屋勝村、田代村、役勝村、石原村、西中間村、神屋村、摺勝村、和瀬名村、金久村、見里村、東中間村、川内村
行政
[編集]- 村長:師玉當章(しだま とうしょう)
産業
[編集]1995年の木材チップ工場の閉鎖後は、大きな事業所などがなく、2000年の国勢調査では建設業に従事する者がもっとも多かった。
自然
[編集]住用のマングローブ林は主に住用川と役勝川の河口域に分布し、その面積は日本で2番目に広い。マングローブ林は支流によって複数の林に分けられている。住用マングローブ林を構成する樹種はメヒルギとオヒルギである。住用がオヒルギの北限となっている[2]。マングローブ林では独自の生態系が形成されている。林全域にはチゴガニやフタバカクガニ、ユビアカベンケイガニが生息している。干潟部ではオキナワハクセンシオマネキ、ツノメチゴガニ、コメツキガニが見られる。また準絶滅危惧種であるカタシイノミミミガイやシマカノコガイなど希少種も確認された。ほかにもオキナワアナジャコなどの分類特性上重要種が生息していることも明らかとなっている[3]。
1991年以前、住用マングローブ林は、子供たちにとっての遊び場だった。ガサミ(ワタリガニ)を素手で捕まえたり、キス釣り大会が行われたりしていた。キス釣りでは、潮が引いているときには砂浜に立って釣り、潮が満ちているときには水に浸かりながら釣っていた。また、2月から3月ごろには、住用マングローブ林の沿岸に、アオサ(青海苔。和名はヒトエグサ)が生い茂る。アオサ摘みを行い、汁物や酢の物にして、現在でも食べられている。一方、1991年以降、奄美群島観光施設整備事業によって、住用マングローブ林は、観光地となった。カヌー体験を通して、住用マングローブ林の生き物と触れ合うことができる。[出典:世界自然遺産 命めぐる島 奄美 「森と海と人と」 ホライズン編集室 2022年。 p.94]
奄美群島観光施設整備事業にて観光施設の整備がされたため、奄美大島では、エコツーリズムを実施するためのツアーであるエコツアーが実施されている[4]。住用のマングローブ林では、カヌー体験をエコツアーの観光資源として活用している。カヌー体験では、住用のマングローブ林の植生を学びながら、マングローブの見学をすることができる。満潮時は、マングローブのトンネルをカヌーで通ることができ、干潮時は、ミナミトビハゼやミナミコツメツキガニ、シオマネキ類などのマングローブ林特有の生物や植物を観察することができる。また、マングローブ林内は琉球アユや甲殻類、その他の魚類の稚魚や幼生の生育場所になっている[5]。
地域
[編集]集落
[編集]- 石原(いしはら)
- 市(いち)
- 神屋(かみや)
- 川内(かわうち)
- 城(ぐすく)
- 摺勝(すりがち)
- 西仲間(にしなかま)
- 東仲間(ひがしなかま)
- 見里(みざと)
- 役勝(やくがち)
- 山間(やんま)
- 和瀬(わせ)
教育
[編集]小・中学校
[編集]- 住用村立住用中学校
- 住用村立市小中学校
- 住用村立東城小中学校
- 和瀬分校 - 廃校
- 住用村立住用小学校
交通
[編集]バス路線
[編集]- 一般路線バス
道路
[編集]- 一般国道
- 主要地方道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- 黒潮の森マングローブパーク
- 新住用川ダム
- 石原ヨシハラウエノ遺跡
- タンギョの滝 - 神谷字小野川にある滝。
- フナンギョ(船之行)の滝 - 川内にある。
- 野茶坊岩屋 - 川内川上流にある。
住用村に関わりのある人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b ○名瀬市、大島郡住用村及び同郡笠利町の廃置分合に伴う地域自治区を設置する協議書 - 奄美市例規集 2011年12月25日閲覧。
- ^ 中須賀常雄, 大山保表, 春木雅寛「マングローブに関する研究 : I.日本におけるマングローブの分布」『日本生態学会誌』第24巻第4号、日本生態学会、1974年、237-246頁、CRID 1390282679269219968、doi:10.18960/seitai.24.4_237、ISSN 00215007。
- ^ 川瀬誉博, 藤井椋子, 古川拓海, 山口涼, 山本智子「住用マングローブ林における底生生物の分布」『Nature of Kagoshima』第44巻、鹿児島県自然環境保全協会、2018年6月、297-302頁、CRID 1050285700287144704、hdl:10232/00031269、ISSN 18827551。
- ^ 嶋田治一, 牧野晋, 和泉勝一, 坂口徳光「奄美大島本島におけるウリミバエの発生」『九州病害虫研究会報』第22巻、九州病害虫研究会、1976年、146-148頁、CRID 1390282679542190848、doi:10.4241/kyubyochu.22.146、ISSN 0385-6410。[出典無効]
- ^ 石綿しげ子「東京湾北部沿岸域の沖積層と堆積環境」『第四紀研究』第43巻第4号、日本第四紀学会、2004年、297-310頁、CRID 1390282681473677824、doi:10.4116/jaqua.43.297、ISSN 04182642。[出典無効]
参考文献
[編集]- 宋多情「奄美市住用町における自然利用の変化と住民意識」『島嶼研究』第22巻第2号、日本島嶼学会、2021年8月、139-151頁、CRID 1390289232191928832、doi:10.5995/jis.22.2.139、ISSN 18847013。
- ホライゾン編集室『生命めぐる島・奄美 : 世界自然遺産 : 森と海と人と』(改訂版)南日本新聞社, 南日本新聞開発センター(発売)、2022年、94頁。ISBN 9784860742942。国立国会図書館書誌ID:032292276。
外部リンク
[編集]- わきゃシマぬあゆみ(住用村の歴史と暮らし)第一集 電子ミュージアム奄美