似雲
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似雲(じうん、寛文13年1月2日(1673年2月18日)- 宝暦3年7月8日(1753年8月6日))は、江戸時代中期の浄土真宗の僧・歌人。俗姓は河村氏。通称は金屋吉右衛門[1]。安芸国の出身。
略歴
[編集]1709年(宝永6年)安芸宮島の浄土真宗光明院で出家し、法号は初め如雲と称したが、のちに似雲(西行の好んだ桜のことか)に改めている。1710年(宝永7年)上洛して、歌道を公家の武者小路実陰に学び[1]、実陰の歌論を書き取って『詞林拾集』と著している。公家の実陰を通し公家や皇族とも親交があり、とくに歌人である一乗院宮尊賞親王とは親しかった。
平安時代後期の歌僧である西行を慕って諸国をめぐり、河内国の弘川寺に西行塚があるのを見つけ、西行堂を建立している。西行を慕った姿から「今西行」と呼ばれた[1][2]。死後、弘川寺の西行塚の脇に葬られた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e “23.日本各地を旅した似雲法師/高槻市ホームページ”. www.city.takatsuki.osaka.jp. 2020年11月23日閲覧。
- ^ “須磨観光協会 - 似雲”. www.suma-kankokyokai.gr.jp. 2020年11月23日閲覧。
- ^ 『似雲法師 としなみ草』 土橋真吉・弘川寺共編、全国書房、1943年。