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伴野時直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伴野時直
時代 鎌倉時代中期
生誕 不明
死没 不明
別名 三郎
官位 出羽守
幕府 鎌倉幕府
氏族 清和源氏小笠原氏伴野氏
父母 伴野時長
長泰泰直安達泰盛の母
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伴野 時直(ともの ときなお)は、鎌倉時代前期の武将御家人

生涯

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吾妻鏡暦仁2年(1239年)1月5日条では幕府の的始の儀で射手を務め、『吾妻鏡』宝治2年(1248年)4月20日条では由比ヶ浜での小笠懸の射手を務めている。将軍宗尊親王に従い、最明寺参詣(『吾妻鏡』康元元年(1256年)7月17日条)や勝長寿院供養(『吾妻鏡』正嘉2年(1258年)6月4日条)、鶴岡八幡宮放生会([『吾妻鏡』弘長元年(1261年)8月15日条)でそれぞれ随兵を勤めている。一遍に帰依し、弘安2年(1279年)、金台寺を創建した。

子の長泰の時代に、弘安8年(1285年)の霜月騒動によって没落した。

関連項目

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参考文献

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