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伯耆町立日光小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伯耆町立日光小学校
地図北緯35度20分00秒 東経133度30分24秒 / 北緯35.333472度 東経133.506694度 / 35.333472; 133.506694座標: 北緯35度20分00秒 東経133度30分24秒 / 北緯35.333472度 東経133.506694度 / 35.333472; 133.506694
過去の名称 日光尋常高等小学校
日光国民学校
日光村立日光小学校
溝口町立日光小学校①
溝口町江府町学校組合立日光小学校
溝口町立日光小学校②
国公私立の別 公立学校
設置者 伯耆町
設立年月日 1918年10月
閉校年月日 2016年3月31日
共学・別学 男女共学
分校 添谷分校[1](2010年休校)
学期 3学期制
所在地 689-4223
鳥取県西伯郡伯耆町栃原29番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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旧校舎(1996年まで使用)
添谷分校

伯耆町立日光小学校(ほうきちょうりつ にっこうしょうがっこう)は、かつて鳥取県西伯郡伯耆町にあった公立小学校。2016年に伯耆町立溝口小学校と統合し閉校された[2]

沿革

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  • 1918年(大正7年)10月 - 大河原・大坂・添谷・米金尋常小学校を統合し、日光尋常高等小学校と改称。本校を吉原に置き、大河原・大坂・添谷は分校となった。
  • 1923年(大正12年)9月 - 大滝字宮ノ上に新校舎を建設移転。
  • 1934年(昭和9年) - 大坂分校を廃止。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により日光国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により日光村立日光小学校と改称。
  • 1954年(昭和29年)4月 - 日光村江府町溝口町に分村合併し、溝口町立日光小学校と改称。大河原分校を江府町に移管。
  • 1956年(昭和31年)10月 - 溝口町江府町学校組合立日光小学校と改称[3]
  • 1957年(昭和32年)4月 - 添谷分校を溝口小学校へ移管。
  • 1966年(昭和41年)3月 - 校歌制定。
  • 1983年(昭和58年)4月1日 - 学校組合を解消し、溝口町立日光小学校と改称[4]
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 添谷分校、日光小学校に復帰する。
  • 1996年(平成8年)4月9日 - 栃原に校舎を移転。新校舎竣工式を挙行。
  • 2004年(平成16年)10月22日 - 中国地区へき地教育研究大会で「ふるさと賛歌」を披露。[5]
  • 2005年(平成17年)1月1日 - 溝口町と岸本町の合併により伯耆町発足、伯耆町立日光小学校と改称。
  • 2010年(平成22年) - 添谷分校を休校。
  • 2016年(平成28年)3月31日 - 閉校。

通学区域

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  • 大瀧、栃原、大坂、富江、福兼、添谷

進学先中学校

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脚注

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  1. ^ 伯耆町添谷381番地
  2. ^ 広報ほうき・伯耆町の小学校統合について” (PDF). 伯耆町 (2015年3月1日). 2015年8月22日閲覧。
  3. ^ 『溝口町誌』533頁
  4. ^ 日光小学校沿革史”. 公式サイト. 2015年8月22日閲覧。
  5. ^ ふるさと賛歌”. 伯耆町立日光小学校. 2020年6月26日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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