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伝燈寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
傳燈寺(眞宗寺⇒傳燈寺)

伝燈寺の大雄宝殿
所在地 仁川広域市江華郡吉祥面温水里635
山号 鼎足山
宗派 曹渓宗
寺格 曹渓宗総本山曹渓寺(第1教区)の末寺
朝鮮三十一本山日本統治時代
創建年 381年高句麗小獣林王11年)
開基 阿道和尚
中興年 1266年忠烈王7年)
中興 貞和宮主王氏(忠烈王の妃)
正式名 傳燈寺
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伝燈寺(でんとうじ、朝鮮語: 전등사、チョンドゥンサ)は、韓国仁川広域市江華郡にある寺院。韓国仏教界の最大勢力である曹渓宗大韓仏教曹渓宗)の総本山曹渓寺末寺日本統治時代は朝鮮三十一本山の一つだった。

歴史

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伝燈寺は、高句麗小獣林王の時代の381年(小獣林王11年)に、阿道和尚が真宗寺を創建してことをもって、伝燈寺の創建としている。ただし正史三国史記』や『三国遺事』に該当する記事はなく、根拠は不明である。高句麗に初めて仏教が伝えられたのは372年(小獣林王2年)である。朝鮮半島における仏教の伝来は高句麗から始まったため(百済384年新羅528年)、伝承がもし事実であれば、現存する朝鮮半島最古の寺院ということになる。

統一新羅時代の伝承は確認されていない。創建以降は1259年高麗高宗46年)に境内に假闕をつくったという話が登場するまで900年近く、伝承が残っていない。武臣政権時代の1232年(高宗19年)から1270年(元宗11年)にかけて、モンゴルの侵攻を受けた高麗は江華島に王宮を移したが、1266年(忠烈王7年)に真宗寺は重修を行った。この時期、王室はモンゴルの退散を祈願して、この寺で高麗八万大蔵経の版木を彫刻させた(のちに移され、現在は海印寺に所蔵されている)[1]

1282年(忠烈王8年)に忠烈王の王妃貞和宮主(貞和府主)王氏が重建を行ったことを契機に、真宗寺から伝燈寺に改名された。伝燈は仏法の灯を伝える意味とされる。貞和府主が玉製の燭台を寺に寄進したことに由来するともいう[1]

李氏朝鮮太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に伝燈寺や真宗寺の名前はなく、廃寺になったようである。 世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際も、存続を許された36寺院の中にも名前はなく、引き続き廃寺のままだったようである(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)。

李氏朝鮮光海君(在位1608年 - 1623年)の時代、大火で建物が消失し、1621年に再建された。粛宗(在位1674年 - 1720年)の時代、『朝鮮王朝実録』を伝燈寺に保管しはじめた。1726年英祖が伝燈寺を直接訪問し、扁額を下賜した。

日本統治時代1911年、寺刹令施行規則(7月8日付)によって、朝鮮三十本山に指定された(1924年以降は朝鮮三十一本山)。

文化財

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伝灯寺薬師殿
建築物
  • 江華伝灯寺大雄殿(宝物178号)
朝鮮中期
  • 江華伝灯寺薬師殿(宝物179号)
朝鮮中期
  • 伝灯寺対潮楼(仁川広域市文化財資料7号)
その他
  • 伝灯寺鉄鐘(宝物393号)
  • 伝灯寺大雄宝殿木造三尊仏坐像(仁川広域市有形文化財42号)
  • 伝灯寺薬師殿現王幀(仁川広域市有形文化財43号)
  • 伝灯寺薬師殿後仏幀(仁川広域市有形文化財44号)
  • 伝灯寺法華経板(仁川広域市有形文化財45号)
  • 伝灯寺青銅水槽(仁川広域市有形文化財46号)
  • 伝灯寺業鏡台(仁川広域市有形文化財47号)
  • 伝灯寺須弥壇(仁川広域市有形文化財48号)
  • 伝灯寺冥府殿地蔵十王像及び十王図一襲(仁川広域市有形文化財56号)
  • 伝灯寺薬師殿石仏坐像(仁川広域市有形文化財57号)
  • 伝灯寺大雄宝殿後仏幀(仁川広域市文化財資料21号)
  • 伝灯寺講説殿阿弥陀仏幀(仁川広域市文化財資料21号)

脚注

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  1. ^ a b 『韓国の歴史散歩』p.62

参考文献

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