天之尾羽張
天之尾羽張(あめのおはばり/あまのおはばり)は、日本神話に登場する刀であり[1][2]、また神の名前である[3][4][5]。
概要
[編集]イザナギが所有する神剣(十束剣)で、妻イザナミが黄泉へ行く原因となったカグツチを斬り殺す時に用いられた[5][6]。『古事記』における神名は、天之尾羽張神(あめのおはばりのかみ)という[4][5]。別名 伊都之尾羽張(いつのおはばり)[2][4]。 『日本書紀』の稜威雄走神(いつのをはしり/いつのをばしりのかみ)と同一神とされる[7][8]。 葦原中国平定(国譲り)神話で活躍する建御雷神(鹿島神宮主祀神)は、天之尾羽張神(伊都之尾羽張)の子供(古事記)もしくは子孫(日本書紀)と記述され[9][10]、同一神とみなされる事もある[7]。
古事記・日本書紀における記述
[編集]神産み
[編集]『古事記』の神産みの段において伊邪那岐命(イザナギ)は、妻神たる伊邪那美(イザナミ)の死因となった迦具土神(カグツチ)を、身に帯びた十拳剣をもって首を斬り、殺す[11][12][13]。 古事記では、この十拳剣の名前を「天尾羽張」、別名を「伊都之尾羽張」と記す[14][15]。日本書紀では「十握剣」のみと記して、固有名詞を与えていない[16][17]。
【書き下し】
故 、斬りたまひし刀 の名は、天 之 尾 羽 張 と謂ひ、亦の名は伊 都 之 尾 羽 張 と謂ふ。
一方、十拳剣からこぼれ落ちたカグツチの血からは火・雷・刀に関わる八神が生まれるが[18][19]、その中に建御雷之男神(建布都神/豊布都神)もあった[20][21]。
葦原中国平定
[編集]『古事記』にける葦原中国平定の段では、天穂日命(あめのほひ)・天稚彦(あめわかひこ)に次ぐ三番目に葦原中国に派遣する神を選定する際に登場する[5][22]。思兼神(おもいかね)は、伊都之尾羽張神もしくは[23][24]、その神の子の建御雷之男神を推薦している[25][26]。 天尾羽張神は天安河の水を逆にせき上げて道を塞いでおり[27]、他の神はそこへ行くことができないので、天迦久神[28]が使者として遣わされた[29][30]。伊都之尾羽張神は「恐し。仕え奉らむ。然(しかれ)どもこの道には、僕(わ)が子、建御雷神を遣はすべし」(もったいないことです。お仕えいたしましょう。ですが、この御使いには私よりも、私の子供 建御雷之男神 を遣わすのがよろしいでしょう)と答えたため、建御雷之男神は天鳥船神と共に葦原中国へ派遣されることになった[24][31][32]。
『日本書紀』の葦原中国平定の段の本文で武甕槌神が登場する際[33][34]、天石窟に住む神である稜威雄走神(いつのおはしりのかみ)[7]の四世の孫であると記されている (1.稜威雄走神[35] ― 2.甕速日神[36][37] ― 3.熯速日命[36] ― 4.武甕槌神)[38]。稜威雄走神は天之尾羽張神の別名と見られる[7][39]。この後、武甕槌神は経津主神と共に出雲へ派遣された(経津主神は書記のみ登場)[34]。一説には、天之尾羽張神・伊都之尾羽張神・経津主神・建御雷之男神は同一神であるという[7]。
解説
[編集]日本神話は、天之尾羽張(伊都之尾羽張神、稜威雄走)・タケミカヅチ(建御雷神)の二柱とも、剣の神霊であることを表している[9][40][41]。 なお「尾羽張」は「尾刃張」で、鋒の両方の刃が張り出した(切先が幅広くなった)剣の意味である[1]。「雄刃張」で、刃全体が鋭利であることを意味するとも[1]。「天」は高天原に関係のあるものであることを示す。 「伊都」「稜威」(いつ/いづ)は、神の威力盛んな様子を意味する[2][42]。 古事記で「伊都之尾羽張神」が天之安河の水を堰き止めていた事から、山が張り出した尾根を意味するとも[21]。 「雄走」(をはしり)は「鞘走る」(さおはしる)の意で、鋭利な刃・刃のひらめきが鋭く走る様子を示す[2][35]。 なお「羽々」(はば)で大蛇を意味する[43]。
現在、タケミカヅチは鹿島神宮[44][37]他、全国の鹿島神社で祀られている。
参考文献
[編集]- 倉野憲司 編『古事記』岩波書店〈岩波文庫〉、1963年1月。ISBN 4-00-300011-0。
- 坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋校注『日本書紀(一)』岩波書店〈岩波文庫〉、1994年9月。ISBN 4-00-300041-2。
- 宇治谷孟『日本書紀(上) 全現代語訳』講談社〈講談社学術文庫〉、1988年6月。ISBN 4-06-158833-8。
- 西郷信綱「第五 大八島国と神々の生成」『古事記注釈 第一巻』平凡社、1975年1月。
- 西郷信綱「第十四 国譲り(続)」『古事記注釈 第二巻』平凡社、1975年1月。
- 斎部広成撰、西宮一民校注『古語拾遺』岩波書店〈岩波文庫〉、1985年3月。ISBN 4-00-300011-0。
- 武田祐吉訳注、中村啓信補訂解説『新訂 古事記 付現代語訳』角川書店〈角川文庫〉、1977年8月。ISBN 4-04-400101-4。
- 次田真幸『古事記(上)全訳注』講談社〈講談社学術文庫〉、1977年12月。ISBN 4-06-158207-0。
- 鹿島神宮元宮司東実「三 日本神話と武甕槌神」『鹿島神宮 <改訂新版>』学生社〈日本の神社〉、2000年8月。ISBN 4-311-40717-3。
- 福永酔剣『日本刀大百科事典<全5巻> 第1巻 あ―かっ』雄山閣出版〈日本刀大百科〉、1993年11月。ISBN 4-639-01202-0。
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 佐伯有義『古語拾遺講義』桜園書院、1930年7月 。
- 渋川玄耳〔他〕『三体古事記』誠文堂新光社、1940年9月 。
- 島根県内務部島根県史編纂掛「第七章 天之尾羽張劒」『島根県史.1 先史時代 神代』島根県、1921年 。
- 高木敏雄「天之尾羽張」『日本建国神話』宝文館、1912年3月 。
- 田辺勝哉『日本書紀講義.神代巻』帝国神祇会、1932年5月 。
- 平凡社 編『神道大辞典 第一巻』平凡社、1937年7月 。
- 平凡社 編『神道大辞典 第二巻』平凡社、1939年6月 。
- 平凡社 編『神道大辞典 第三巻』平凡社、1940年9月 。
脚注
[編集]- ^ a b c 日本刀大百科事典1巻52頁、あめのおはばりのつるぎ【天之尾羽張剣】
- ^ a b c d 西郷(1975)古事記注釈一巻169-170頁『○《天之尾羽張、
伊都 之尾羽張》』 - ^ 日本刀大百科事典1巻52頁、あめのおはばりのかみ【天之尾羽張神】
- ^ a b c 古事記(岩波文庫)24-26頁『5 火神被殺』
- ^ a b c d 神道大辞典一巻コマ35(原本49頁)
- ^ 古事記(角川文庫1977)213-214頁『黄泉の国』
- ^ a b c d e 神道大辞典一巻コマ82(原本133頁)
- ^ 日本建国神話コマ25-26(原本28-30)
- ^ a b 西郷(1975)古事記注釈二巻頁
- ^ 古事記(角川文庫1977)244頁『国譲り』
- ^ 西郷(1975)古事記注釈一巻161-162頁『九 迦具土神を斬る』
- ^ 古事記(上)全訳註55-56頁『四 火神迦具土神』
- ^ 神道大辞典一巻コマ178(原本302頁)
- ^ 西郷(1975)古事記注釈一巻167-168頁『十 迦具土神の死体に成る神』
- ^ 古事記(上)全訳註59頁『○天之尾羽張/○伊都之尾羽張』
- ^ 日本書紀1巻(岩波文庫)43頁(註六)
- ^ 宇治谷、書記(上)25-26頁『一書(第六)』
- ^ 古事記(上)全訳註57-58頁〈現代語訳〉
- ^ 古事記(角川文庫1977)27-28頁
- ^ 西郷(1975)古事記注釈一巻164-165頁『○《建御雷之男神》/○《建布都神、豊布都神》』
- ^ a b 鹿島神宮(学生社2000)38-41頁『武甕槌神の誕生』
- ^ 西郷(1975)古事記注釈二巻190-191頁『一 建御雷神』
- ^ 古事記(上)全訳註161頁『○伊都之尾羽張神』
- ^ a b 鹿島神宮(学生社2000)41-43頁『武甕槌神の行動』
- ^ 古事記(上)全訳註159-160頁『三 建御雷神と事代主神』
- ^ 古事記(岩波文庫)60-61頁『3 建御雷神』
- ^ 西郷(1975)古事記注釈二巻192頁『○《逆に水を塞き上げて云々》』
- ^ 古事記(角川文庫1977)60頁(かく=鹿児とも)
- ^ 西郷(1975)古事記注釈二巻192頁『○《天迦久神》』
- ^ 古事記(上)全訳註160-161頁〈現代語訳〉
- ^ 西郷(1975)古事記注釈二巻192-193頁『○《仕へ奉らむ》』
- ^ 三体古事記コマ61-62頁(原本101-102頁)『大國主神の國譲り』
- ^ 日本書紀講義.神代コマ133(原本18-19頁)『譯讀』
- ^ a b 鹿島神宮(学生社2000)48-49頁『武甕槌神の出雲派遣』
- ^ a b 日本書紀講義.神代コマ133-134(原本19-20頁)
- ^ a b 日本書紀講義.神代コマ134(原本20頁)
- ^ a b 古語拾遺講義コマ19(原本30頁)
- ^ 日本書紀1巻(岩波文庫)116頁(本文)
- ^ 日本書紀1巻(岩波文庫)117頁(註一三)
- ^ 古事記(上)全訳註162頁〈解説〉
- ^ 西郷(1975)古事記注釈二巻193頁『○《此の道》』
- ^ 神道大辞典一巻コマ78(原本127頁)
- ^ 古語拾遺講義コマ17頁(原本26頁)
- ^ 古語拾遺(岩波文庫)25-26『吾勝尊』