伊達村富
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛保元年(1741年) |
死没 | 寛政4年10月27日(1792年12月10日) |
改名 | 登(幼名)→村富 |
別名 | 数馬 |
主君 | 伊達宗村→重村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 | 父:伊達村望 |
兄弟 | 村香、岩城隆恭、村望、三沢村保 |
妻 |
正室:喜和(伊達村景娘) 継室:豊(伊達村実娘) |
子 | 村将、塩森直董 |
伊達 村富(だて むらとみ)は、江戸時代中期の武士。陸奥国仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達家6代当主。
生涯
[編集]寛保元年(1741年)、岩谷堂伊達家5代当主・伊達村望の三男として生まれる。
延享2年(1745年)、兄の村寿(岩城隆恭)が亀田藩5代藩主・岩城隆韶の末期養子となって家督を相続したため、父の継嗣となる。宝暦4年(1754年)5月、仙台藩6代藩主・伊達宗村の加冠で元服、偏諱を受け村富と名乗る。
明和2年(1765年)3月、父・村望の死去により家督を相続し、岩谷堂邑主となる。安永2年(1773年)、藩政混乱を招いた葛西川島事件[1]の責めを負って、隠居を命じられる。家督は嫡男・村将が相続した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『伊達世臣家譜』
- 『仙台市史』
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